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飼い犬が連れてくる一期一会

犬を散歩させていると、犬を介していろいろと小さな出会いがあり、そしてそこから小さなコミュニケーションが生まれる。その出会いは、時には一期一会。
 
犬を飼っている人にとっては、散歩の途中に犬のことで他の人とちょっとした挨拶や会話が生まれることは、何も特別なことではない。
 
例えば、最も一般的なのは、相手の人も犬の散歩をしていて、まず犬同士が近づいて匂いをかいだり、吠え合ったりとコミュニケーションが起きる。そして、そのあとに飼い主同士のちょっとした会話があり、最後は「ありがとうございました」と言って別れる。
 
もっとも、こうしたやりとりを煩わしく感じ、すれ違う時に犬を自分の方に引き寄せ、視線もこちらには一切向けず、「私達には構わないで下さい」と言わんばかりの人、というのもいるが。
 
それから、小さな子供を連れたお母さんとの場合。抱いている子供が「あっ、わんちゃん!」と犬を指さしたり、歩いていた子供が駆け寄ってきて「かわいい!」とはしゃぎながら犬を撫で、それがきっかけで母子と会話が生まれる。
 
犬に限らず、小さな子供と動物との触れ合いは、見ていて本当に微笑ましく、こちらも癒される。なお、お母さんがきれいでしかも感じがよかったりすると、なお癒される・・・というか、単純にすごくうれしい。言うまでもないことだが(笑)。
 
さらには、相手側に犬がいるわけではないが、すれ違う時に、まず犬ににっこり微笑みかけ、時には下の方で小さく手を振る人も。それから飼い主の方に視線を向け、微笑んでくれる。「か〜わいいですねえ」と一言かけてくることもあれば、無言で「こんにちは」の意味でうなずき合うだけの時もある。この場合は、たいてい年配の女性で、たまにかなり高齢の男性の時もある。
 
この時の会話で時々あるのは、その人が飼っていた犬が亡くなっていて、その犬への想いを語る人。その人がどんなに可愛がっていたか、そしてその悲しみが、ひしひしと伝わってくる。それとともに想うのは、自分達家族にもやがてそういう時が必ずやって来るのだということ。
 
普通はそんな出会いがあって、そしてコミュニケーションが生まれるわけだが、時には変わった出会いを経験することもある。
 
最近あった一期一会の出会い。それは、車で出かけて自宅から遠く離れた公園で、飼い犬の「クー」を散歩させていた時のことだった。年配の女性が駆け寄ってきて、「すみません、ちょっといいですか?!」と、クーのあちらこちらをしげしげと見ている。何事かと思っていると「やっぱりそうだわ。この子は亡くなったあの子の生まれ変わりだと思う」と言う。
 
「うちもパピヨンを飼っていたんだけど、3年前に亡くなってしまって。それからはずっと、似た子が通らないかしらと思って見てきたけれど、この子はほんとうにそっくり」とのこと。クーを抱きながら、亡くなった犬への想いを熱く語る。この人の興奮した様子を見ていると、しまいには「この子を私に譲って下さい!」とでも言いだすのではないかと、はらはらした。
 
自分も輪廻転生を信じているので、そう思いたい気持ちはわかるが、クーの年齢からしてそれはありえない、と思った。でもその人には「そんなに可愛がっていた人がそう思うのだから、生まれ変わりなのかも知れませんね」と慰めた。しばらくするとその人も名残惜しそうに別れていった。
 
また、ある散歩の時には、見るからに悪そ〜な男子高校生が自転車に乗って通り過ぎる際、「お〜!かわいい!」とニコッと笑って犬に視線を落としていった。いかにも似つかわしくないその姿につ笑ってしまったが、そのあと何だかほっとした。「人を見ためで判断してはダメだよ」と、その高校生が言い残していったような気がした。
 
犬を連れていなかったら、生まれなかったに違いないいろいろな出会いとコミュニケーション。ほんの短い時間だけれど、初対面にもかかわらずお互いに心を開いたコミュニケーションが生まれる。だから、犬の散歩が自分は好きだし、そうした犬の癒しにはいつも感謝している。
 
そんなことを考えながら散歩していてふと見ると、クーが道端に咲いた可愛らしい花に鼻を近づけ、いかにも愛でている様子。「うん、そうだね。可愛い花だね」とクーに語りかけ、一緒に見ていると、最後にはその花に、オシッコをひっかけて立ち去っていく。

それで自分のモノにしたつもりなんだろうなあ・・まったく!


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