セブ島の子供_B

ある貧しい村での出会い….村人のプライド、そして子供たち

見るからに威圧感を与えるいかつい銃を構え、険しい表情で繁みの中を念入りにチェックしたその警備員は、なおも鋭い視線で周囲を見回しながら、「定刻までには必ずホテルに戻るように」と言い残して、帰っていった。「どうやら、とんでもない場所で夕食をとることに決めてしまったらしい・・」。私と妻は、込み上げてくる恐怖心で後悔し始めた。

それは、今から数十年以上も前に、セブ島に旅行した時のことだが、いまでも海外の貧しい村の風景をテレビで目にするたびに思い出す。

当時のフィリピンは、マルコス政権の時代で、国民的人気のあった政敵ベニグノ・アキノ氏が暗殺されたのを機に、政情不安が続いていた。しかし、その時にはだいぶ落ち着いてきており、この時期を逃すと休暇をとるのが難しいことから、セブ島旅行を決行した。

空港に着くと、確かに治安の悪さを感じさせる出来事がいくつもあり、私たちは神経を尖らせながらホテルにたどり着いた。

翌日、ホテルのプライベートビーチを妻と散歩した。燦々と降り注ぐ太陽と潮風が心地よく、ホテルの敷地を越えて、そのまま浜辺を歩いた。
しばらく行くと、10歳前後と思われる現地の子供たちが3、4人、片言の日本語を交えて話しかけてきた。土産物を売る親たちから観光客を連れてくるように言われ、多くの日本人と接するなかで多少の日本語を覚えたようだ。

彼らの目的には気づいたものの、親たちからの言いつけも忘れ、屈託のない笑顔で一緒に遊びたがる子供たちと、すぐに仲良くなった。しばらくして“自分たちの仕事”を思い出した彼らの勧めるまま、親や親類が営むという土産物屋に行き、買い物をした。そのうえ、彼らの熱心な誘いに負けて、夕食をその村で食べる約束までしてしまった。

夕食までにはまだ充分に時間があったので、子供たちが呼んできた村人に夕食代を払ってから一度ホテルに戻り、シャワーを浴びるなどの準備をしてから出直すことにした。

陽が落ち始めた頃、ホテルの敷地の外に出ようとすると、銃を構えた警備員が近づいてきて、「どこに行くのか」と聞いてきた。「村に夕食を食べに行く」と言うと、「暗くなると危ないのでやめたほうがいい」という。予約して既にお金も払っているからと食い下がると、困った顔をしながら一緒についてきた。

待ち合わせ場所に着くと、先ほどの子供たちが待っていて、食事をする場所まで案内してくれた。村の中に入ったその場所は、「テラス風掘っ建て小屋」とでも言うべき、狭くて粗末なたたずまいだった。しかし、私たちはそのことよりも、一緒についてきた警備員の行動に驚いた。持っていた銃を構えながら、するどい目つきで周辺を慎重にチェックするその姿が、何とも異様に感じられ、ここはそんなに危険な場所だったのかと、思わず緊張で体を固くした。無邪気な子供たちに誘われるまま、村に来てしまったことを後悔し始めた。

警備員が帰っていくと、村人たちは早速夕食の準備にとりかかり、これまた粗末で、しかしかなり大きなテーブルの上に、次々と料理を並べていった。支払ったお金の額からしても、そしてその食事環境からしても、あまり期待はしていなかったものの、その料理の多彩さと量には驚いた。

こうして準備がすべて整い、「さあ食事を始めよう」としたその時、ほかの村人達が、どこからともなくぞろぞろと加わってきた。そして、大人と子供達が15人ほど、私たちのテーブルを囲んで座り込んでしまった。

「な、なんだよ、この人達は?!」そう驚いている私たちを尻目に、村人は笑顔で「さあ、早く食べなさい」とすすめる。
「冗談だろ。こんなにたくさんの人たちに囲まれてたら、食べづらくて仕方がないだろ!」と、心のなかで舌打ちした。

私と妻は顔を見合わせ、やむなく食べ始めたものの、食べにくくて仕方がない。しばらくして「そうか、この人たちはおなかを空かせているんだ」と気づき、誘ってみた。
「食事はこんなにたくさんあって二人では食べ切れないから、もしよかったら一緒に食べようよ」と。しかし、いくら勧めても「自分達はもう夕食を済ませてきたから要らない」の一点張り。
「それじゃあ、何だってこんなに、人の食事を見に集まって来るんだ?」
と不信感を募らせた。

しかし食べ始めたら、料理は新鮮でとても美味しかった。熱帯魚風のカラフルで大きな魚を焼いて、その上に何種類かの野菜を煮込んだものをかけた料理。これをメインに、見かけたことのない料理がいくつも並び、どれも好奇心をくすぐり、しかも美味しかった。

決して手を抜いて作ったものではないことが、十分に感じられた。もちろん、豪華さなどなく地味ではあるものの、自然な感じと丁寧さが感じられ、この「テラス風掘っ建て小屋」の素朴さと、不思議にマッチしていた。

しばらくの間、私たちは食事を楽しみ、それぞれの料理について二人で話していたが、ふと周囲に目をやると、明らかに村人たちの視線が料理にくぎ付けになっているのがわかった。それらの視線が「食べたい!!」という声なき叫びをあげているのを感じた。

私は、村人たちに気づかれないよう、テーブルの下で妻の足を突っつき、「ねえ、周りを見て」と小声で促した。妻もその様子に唖然としてつぶやいた。「やっぱりね」と。
そして、「あとの料理は全部残そうよ」と妻は私に提案した。

「ごちそうさま! ああ、美味しかった。もうお腹いっぱい!」と、
食事の終わりをふたりで宣言すると、村人たちが
「まだこんなに残っているじゃないか。もっと食べなさいよ」とたたみかけてくる。
「いや、もう食べられない」、「いや、もっと食べなさい」の応酬が何度か続いた

そして最後に「本当にもういいんだね?」という村人からの念押しに、
「本当にいらない」
と返事をした途端、それまでイスに静かに座っていた村人たちは、大人も子供も、一斉にテーブルに駆け寄ってきて残っていた料理を手づかみで、あっというまに食べつくした。

私と妻は、ただただ、呆然としてその光景を眺めていた。

すべて食べ終えると、村人たちは黙ってテーブルを片付けはじめた。それが終わると、少し照れくさそうな笑顔で私たちに聞いてきた。「本当に美味しかった?」と。
「すごく美味しかったよ」と礼を言い、私たちは村をあとにした。

子供たちが一緒についてきて、村のはずれで別れた。これまで目にした村の貧しさとは対照的に、豪華な建物がそびえたつホテルに向かいながら、私達の足取りも、心も重かった。

私が「何だかなあ・・・」とつぶやくと、妻も「なんだかねえ・・・」とつぶやき、そのままふたりとも黙り込んでしまった。ただ、村人達が貧しいながらも捨てずにいる最後のプライドと、子供達が別れる間際まで浮かべていた屈託のない笑顔を思うと、救われる想いがした。

もう、ずっと昔のことなのに、今でもその時の光景がありありとよみがえってくる。
            (写真は「セブ国際ボランティア」掲載のもの)

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