見出し画像

一切

野良仕事を休んでバスに乗る。

昼から夜までいろいろな人に出会った。「元気でしたか?」と言われると「はい」と答える。

ある人に「見た目、元気そうよ」と言ってみた。笑っていた。

笑い、笑顔は楽しさ、嬉しさを表すだけではなく照れ笑い、愛想笑い、心配かけまいとする笑い、等々ある。

初対面のある人は朴訥として笑顔がなかった。このような人をおよそ信用する。一緒に過ごす30分、やがてどことなく心が交わる。

かなり歩いて12000歩。

初めて訪ねる純喫茶には煙草の香りが渦巻いていた。本も持たずに来たのでコーヒーをいただきながら独り、身を沈めるひととき、年に2回とあるだろうか?店内の壁を見渡すと凸凹(でこぼこ)した、まるで洞窟のようだった。

一説によると私の先祖には洞窟にこもって詩を書いていた男(ひと)がいたらしい。いつの事だか、その世の生き方は自由だったんだな。

そういえば30年ほど前、街でたいそうお洒落な人を見かけた。オレンジ色というよりも柿色の上着は、当時好きだったシビラ・ソロンドのコートのようなシルエット。遠くからお互いに近付いてふぃっとすれ違うとき、とある香りが漂った。

それはコートではなく古ぼけた毛布だった。国道を闊歩していたその男(ひと)は長髪で背を曲げていたが、足取りは逞しかったのを覚えている。
生き方とは自由なもんだったな。

もっと前、40年ほど前に私鉄の電車内によく出くわす女(ひと)がいた。
いつも一人、独り言を呟いていた。長身で目はうつろに常に遠くを見ていた。陰翳の美しい彫刻のような顔立ち。背中の歪んでいた彼女の後ろ姿は、じっと見てしまう、何が・・とは言えない惹かれる美しさだった。もうこの世にいないだろうか。

さて日暮れて知人の個展へ。「こんにちは」「ゲンキデシタカ?」「はい」

作品の前でおどる身体を観ながら、誰しも、身体の内に洞窟を孕んでいることを空想した。空っぽのようで空っぽではない、交々(こもごも)に満たされた空洞、水分、冷たい、また熱い湿度。

その闇を裏返し、価値に変えようとする。

動く身体、今との関係、奇跡的に生きて在る。観る、とはそこに立ち会うこと。立ち会い、見る側の心に何かが表れる。

それだけであり、また一切でもある。 

進化系へと変わり果てた街での一日。
締めくくりはこちら。<中>じゃなくて<小>

陽もとっぷりと暮れ20500歩ののち、ようやくバスに乗る。

幸いにも再び来るであろう明日。私は野良へ。

泥土(ういぢ)

いいなと思ったら応援しよう!