なりゆく
古本屋さんには新書を扱う書店とちがった趣がある。気配と言ってもよい。廃墟にも近い。森に迷い込むかのような・・時間を忘れる時もある。
『なる』という言葉にまつわる章があり、手に取った古本がある。『無思想の発見』 著:養老孟司
2005年発刊ですから、約20年前ですね。思想がない日本人、無思想という思想について、読みやすく軽快に書かれています。
無思想の根拠がこの国の風土により培われたのではないか、という部分は田畑を切り盛りする私にとって今は実質興味深い。湿度の多い日本の土地は放っておけばすぐに草木に覆われる。
『ひとりでにそうなる』『なってしまう』身を尽くしても人の手ではコントロールできない。ここに『致し方ない』という気持ちが生まれ続けてきたこと。(自然災害の頻発も然り。)これは本の濃厚な内容のごく一部です。
ところで『なる』は目の前の事実。なりゆき、というと他人事のような感があり・・。
では、なりゆく、と言えば・・目前の事実に時間軸が鮮やかに現れるように思えて、好きな言葉です。
本の中では、数字のゼロ『0』という思想の起点などにも触れていますが、私自身、哲学を持たないことを信条としてきたものであり、“無” あるいは “空” について、地に足をつけることができるような、無宗教でありながら “禅” にも居所としておさまりの良い感覚をもっています。
答えはいらないわけで、わかろうとせず等身大で、時間をかけて考えることのできる材料を見つけることが好きなのでしょう。
まだ半分しか読んでいませんが、文中に細く赤いペンが引かれた部分を見つけると、この本を読んだ人とのご縁を感じたりもしますね。