4,099キロメートルを超えて乾杯!

私は人付き合いが苦手だ。

学生時代の友人とは、だれかの結婚式で顔を合わせ、出産祝いで連絡を取るぐらいのものだ。

決して、人が嫌いなのではない。出かけることが億劫なのだ。
一度出かけてしまえば楽しいのだが、出かける前が憂鬱で仕方がない。

そんな私にも、昔から続く友人がいる。

その友人とは、大学進学時に寮で知り合った。
私の人生で唯一の男友達で、数少ない親友だ。名前をカズくんという。
カズくんとは、最初から馬が合い、寮の座敷においてあった囲碁盤で五目並べをしたり、寮飲みと言われるイベント(七夕や夏祭り、成人式、理由をつけて寮内で飲み会をする)では、人生についていろいろと語り明かした。

私たちは、男子寮と女子寮の寮長となり、お互いに愚痴をこぼしたり、冗談を言ったりしながら、時には涙を流して、寮の今後を語りあった。青臭くて、でも炭酸水のようなさわやかな思い出。

学生時代から卒業後まで、カズくんとは今年で16年の付き合いになる。私たちは、いつも近くにいないのに、何かあれば隣に座って、ビールとレモンサワーで乾杯をした。

時には2年間お互いに連絡を取らない時もあったと思う。
ただ、親友とは不思議なもので、たとえ何年会っていなくても、何年連絡ととっていなくても、久々に会えば、すぐにあの頃の空気とテンポを取り戻し、心地がよくて、懐かしい時間を過ごせるものである。

みんながそうであるように、人生にはなにかを決断したり悩んだりするタイミングがある。そういう時には、すべての気を抜ける誰かと会いたくなって、「今日飲み行こう」と声をかけ、学生時代の思い出話や、くだらない冗談を言い合う。
実際の悩みや相談をするわけではないのだけれど、カズくんの屈託のない笑顔をみると、何かが救われるのだ。

カズくんとの乾杯は、いつも私の人生を前に進めてくれる。
変わらない笑顔と、憎々しい物言いやユーモア、そして、時とともに少しずつ変わっていく見た目や近況、変わらない思い出話。
当時は、なぜ飲みに行きたくなるのか?この感覚に呼び名をつけることはできなかった。けれど、この文章を書きながら、「お互いにこんなにも信頼できる人がいる」という安心感が「踏み出す勇気」につながっていたと確信した。

4年前、私は結婚し、12年住んだ東京から大阪へ引っ越しをした。
結婚後もカズくんが大阪出張の際には、旦那も一緒に3人で飲んだりもして、こうやって、たまに会って、ずーといつまでもこういう感覚が続いていくのだと、疑うこともしなかった。

そんな中、久しぶりにカズくんから、スマホに連絡が入る。
「ミャンマーに転勤が決まった」
私は、スマホのメッセージを見て、ミャンマーって、大阪から直行便がでているのかしら?とぼんやりと考えた。

詳しく聞くと、栄転らしく、本人もやる気に満ち溢れていた。2年で戻ってこれるし、まあ、がんばるわ!と前向きで、私と旦那はよかったねと笑い合った。一緒に国旗や地図を検索し、ミャンマーについて、少し詳しくなったりもした。

カズくんがミャンマーに旅立つ1か月前に、東京に行く予定があったため、寮の友人を数人呼んで、いってらっしゃい会をした。
それが、現時点でカズくんに会った最後のタイミングである。
どうせ2年でもどってくるしね!とみんなで笑ってグラスをぶつけた。

それから1年、世界がコロナ禍に包まれた。
旦那が心配して、カズくんに問題ないか連絡してみたら?と言った。
そうか。と思い、連絡をしてみると、コロナは特に問題になっていないようで、逆に日本を心配していた。お互いに気を付けて生活しようね。とやりとりし、一体、いつ、今度は、いつカズくんと一緒に、ビールとレモンサワーで乾杯ができるのか?と頭の隅にもやっとしたものがかかった時に、突然思い立ったのだ。

ミャンマーと大阪でも、オンライン飲み会できるんじゃない?

私は早速、カズくんと寮の友人に連絡を送った。
「オンライン飲み会やろう」

なんとあっけなく、4,099キロメートル離れたミャンマーと大阪がつながるのか?と感心しつつ、私たちは、いつもの空気とテンポを取り戻し、くだらない冗談や、いつもと同じ昔話をしながら、ビールとレモンサワーを画面越しにぶつけた。

世界はコロナ禍で、変わってしまったように思う。または、まだまだその最中である。
だが、世界がどんなに変わっても、姿ややり方が違っても、変わらないものもあることを、この乾杯が教えてくれた。

また、いつでも、4,099キロメートルを超えて乾杯ができることが、今日を踏み出す勇気になるのだ。

また、乾杯しようね。

#また乾杯しよう

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