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vol.5 吉池との出会い

水産系シンガーソングライター牧野くみです。

今でこそ毎日当たり前のように吉池吉池騒いでいるけど、私はなぜこんなにはまっているのだろうとふと思いました。

なのでちょっと振り返って記憶を整理してみます。

。。。

たぶん10年くらい前だと思う。Nさんというライブによく来てくれるお客様がいた。

その頃はまだ今の「水産系シンガーソングライター」という肩書ではなく、アイデンティティがあやふやだった。しかも無駄に尖っていた。

Nさんからすると私の活動方針がよくわからなかったようで、「マッキーはもっとあーゆう人と対バンしたりあーゆう箱(ライブハウスやお店のこと)に出たらもっと売れそうなのに」とお小言を言われていた。今の私が当時の自分を見たら確かにそう思う。迷走していた。しかし私は「そうゆうのめんどくさいし」と思っていた。

が、きっとそれもわかりつつな上で相変わらず小言を言いながらよくライブに来てくれた。私のこと珍獣みたいな感じでおもしろかったんだと思う。Nさんが好きな他のアーティストはみんなものすごく上手くて正統派だった。普段はピアノ弾き語り推しで他のライブにはあまり興味を示さないのに、私が客演で出演した舞台も観にきてくれた。

他のお客様も含めてライブの後ごはん食べに行ったり野外ライブの時にはマックのポテトを「みんなで食べようよ」って買ってきてくれたり、ライブの様子を撮影したDVDをくれたり、時には小言を「余計なお世話だし」と思いながらも、物販席にわざわざやってきて目当てでも応援しているわけでもない演者に説教をするただの迷惑でしかないいわゆる”シンガーソングライターおじさん(略してSSWおじさん)”とは全く違った存在だった。

※私は懇意にして下さるお客様とは距離が近いお付き合いをしているけど、その距離感は演者によってそれぞれです。特にこのご時世演者側もお客様側も気を遣うと思います。あくまで私のケース。

頻繁に来てくれるお客様同士で仲良くなったりして、ある日ライブ終わってみんなで談笑してたらNさんだったか他のお客様だったか、「いい立ち飲み屋があるんだよ」的なことを言っていた。

「それどこですか!?」って訊くと「魚屋直営の居酒屋で御徒町で」と教えてくれた。

そう、それが後に知る味の笛だ。

当時はまだ魚に目覚めていない頃だけど、東京のガード下の立ち飲み屋っていう雰囲気にめっちゃ憧れて「いいなーいいなー!」って言って、でもその時はそれで終わって特に訪れたりもしなかった。

時を経て、Nさんはご実家がある街へ引っ越すことになった。

Nさんが引っ越しへの日程が迫った中、とあるショッピングモールの演奏の際にキーボードを車で持ってきてくれた。機材持ち込みのサポートができるようNさんが自腹でキーボード等の機材を所持していた。本当に、できる限りの色々なことをしてくれたと思う。

※ピアノ弾き語りの時に機材持ち込みが必要な場合、楽器だけじゃなくてキーボードスタンドも必要で、さらにCDやグッズなどの物販も持っていくのでとんでもない荷物になる。

その後はさみしいなぁと思いながらも忙しく過ごしていて、通常のライブ活動の傍ら以前楽曲提供をさせて頂いた鯨関係のイベントに出演したり、鮭とばが好きすぎて歌を作ったりしていた。とはいえ水産の片鱗が垣間見えつつもまだ点と点だった。

そんなこんなである日、「日本さかな検定(通称ととけん)」という検定を知って音楽以外で初めて心惹かれてがんばりたいって思った。これだ。点と点が線になるのはととけんだ。

おそらくきっかけは、なぜか名古屋の市場で魚を食べていた時に見たポスターだった。何で名古屋に行ってどうやってその市場を知り辿り着いたか覚えていないけど、行きたかったんだと思う。あぁ、私魚好きだったんだ。線がつながった瞬間だった。

日本各地の魚料理や漁業に関する問題が出てくる試験を勉強する中で、テキストに出てきたお料理がおいしそうで、自分でも魚を捌きたいと思った。

そこで、その道の学校へ通い調理師免許を持っている友人に「こういう事情で魚料理を教えて欲しい」とアポを取り、横浜の金沢八景から都内の自宅に来てもらうことになった。

「買い出しに行こう」という友人の申し出が記憶のトリガーだった。魚屋…御徒町…何かあった気がする。

「なんかね、御徒町って駅に魚屋さんがあるみたいなんだけど」とNさんとの会話の曖昧な記憶を頼りに待ち合わせ場所を御徒町に取り付け、そこで初めて鮮魚スーパーとしての吉池に足を踏み入れた。

その道の友人が絶賛していたアジをよくわからないまま3尾購入して、3枚おろしやらなめろうやら教えてもらった。たぶん1尾380円くらいだった。魚の勉強を始めたばかりで相場が当時はわかっていなかったけど、今考えたらそこそこいいアジだったと思う。友人の目は確かだ。

初めて訪れた吉池はとにかく色々な魚がいて、普通のスーパーじゃ絶対見かけないととけんのテキストでしか見たことなかった南の地域の魚や、懐かしい地元北海道の魚や貝、エビなどもあって驚愕した。そこからは沼。

今思い出した。その日友人が「これいいね」ってチョイスした厚切りのメカジキの切り身でムニエルも作ってくれた。自分が手を動かしていないものはすぐ忘れる。

時代はコロナ禍に突入し外出に慎重になっていた中、ふとしたきっかけで毎週吉池について語るclubhouseのルームを見つけて参加することにした。

私は周りの人に恵まれてると常々思っていて、「この人がいなかったら今の私はないだろうな」と思う人がたくさんいる。そういう方たちのおかげでぎりぎり今日も生きている。Nさんもその一人だ。多大なる音楽活動のサポートはもちろんのこと、吉池へ辿り着くヒントをくれたから今の私があると言っても過言ではない。

※2024年加筆・その後吉池ルームで出会ったメンバーと一緒にCDを作ることになったり音楽のお仕事をするという奇跡が起きた。もはや、Nさんは天使なんじゃないかとすら思っている。

現在はライブはこなしつつもピアノ弾き語りをする割合がかなり減ったから何言われるかわかったもんじゃないけど笑、Nさんに今の私のライブを観て欲しいなと思う。元気かな。

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水産系シンガーソングライター牧野くみ
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