![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84144652/rectangle_large_type_2_ea2727d670a76b4873933b370ec891d0.jpeg?width=1200)
鮮やかな交渉劇
ハノイの街中には昔ながらの市場が至るところにあり、野菜、果物、肉、魚… なんでも売っている。僕はその一角にある海鮮屋で焼き牡蠣を買うため、店先で牡蠣を焼いてもらうのを待っていた。生から焼くので焼き上がるまで結構時間が掛かる。
1台のバイクが店先に停まった。中年に差し掛かったキリッとした表情の女性が降りきて、切れ味鋭い口調で海鮮屋のおばさんと二言、三言交わした。まるで切れ味鋭いナイフのように話す。この"ナイフ女"は客らしいが、会話を交わした後も険しい表情を保っている。一方で、海鮮屋おばさんは無表情だ。
僕には話の内容は聞き取れないが、数字くらいは耳に入る。価格交渉をしていることだけは想像がつく。
ナイフ女の狙いはザルに入った活海老らしい。一尾一尾立派な海老だ。
ナイフ女は何やらケチを付けているようだが、海鮮屋おばさんは応じない。
所在なく店先で牡蠣が焼けるのを待っている僕は、その成り行きを見守る。
交渉は決裂か?
ナイフ女が踵を返してバイクに跨ろうとしたその瞬間だった。無表情の海鮮屋おばさんが短い一言を発した。その一言を聞くや否や、ナイフ女はすかさずバイクに跨る動作をやめて、件の海老のザルの所に戻ってきた。勝負あり、ナイフ女の勝ちだ。
ナイフ女は、素早い動作でザルを持ち上げて何尾かのエビを勝手に取り除いた。活きがいいやつだけを選別して、それら全てを買い占めるようだ。渡したお札に対して釣はないことから、想定価格で商談成立ということだろうか。帰っていくまでの一部始終、最後まで鋭い表情を崩すことはなかった。
ところで、この交渉劇のさなかで、果たして件のナイフ女が一切の笑顔や妥協を見せなかったのか、バイクに跨る時から海老の買い占めに至るまでの展開がそこまで刹那であったのか、実のところはどうだったのだろうか。
ナイフ女と海鮮屋おばさんは、実は馴染みの関係で冗談を交わしていたかもしれない。あるいは、ナイフ女が海老を買い占めるまでの間に緩慢な動作もあったかもしれない。今となっては確かめる術はない。とにかく、僕の記憶にはそれらは含まれていない。無意識のうちに余分な場面を切り取って凝縮して鮮やかに脚色しているのかもしれない。仮にそういうことだとしても、それがいかに鮮烈で記憶に残しておきたい光景であったか、ということの証左になるだろう。
(追加)ベトナム語翻訳版動画:
https://youtu.be/C47tXsp1ZHs
![](https://assets.st-note.com/img/1659758392409-MNaG8OrJXK.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1659758985184-YnExjc7n7K.jpg)