紅河の果て - the end of Red river
そうだ、紅河の河口へ行こう
4年前の拙稿、
ホン川の支川がハノイ付近で分かれることから、「○○デルタ」と呼ばれる経済圏の強みを考えた。
を振り返る。
ハノイがハノイたる由縁は、紅河が造った豊穣なデルタ(三角州)に位置することにある。だとすると、ハノイという都市を「点」としてではなく、その背後に広がる紅河デルタという「面」も含めて捉えることではじめてハノイの現在の繁栄ぶりが理解できるのではないか、そういう考えを抱いていた。
紅河が形成するデルタはメコン川(Sông Cự Long, 瀧九龍)のそれとは異なり、デルタ地域まで流れの勢いが比較的保たれているため、流されてきたある程度の粒度をもつ礫が堆積されることにより自然堤防(微高地)を形成する。それが冠水地域と非冠水地域を分かち、古来より制御しやすい農地を提供している。勢いを失った河川流がとめどなく分岐していくメコンデルタとは様相が異なり、紅河はいくつかの分岐はするが本流の存在が明確である。その流れはナムディン省(Nam Định)とタイビン省(Thái Bình)の境界を担いながらトンキン湾へと注ぐ。紅河デルタを面的に捉える旅で目指すのはその地点、紅河の河口だ。(下図の×印)
大海原に注ぐその最後まで河流に力がある
紅河の河口は汽水域を利用した養殖場らしき池が多くみられたが、人家や施設は何もなく、行き交うバイクもクルマもまばらで、おりしも降りしきる霧雨の演出も手伝い最果て感抜群の景観である。紅河のフィナーレとはこのような寒々しく荒涼としているのか。もっとも、海水浴場もあることから、夏季だとまた全く違った装いを見せるのかもしれないが。
河口の左岸に到達した。
何かの測候所らしき施設と漁船の溜り場があるだけで、ほとんどが自然の地形が残っている。そして紅河は海に注ぐまで勢いを失っていない。これはたまたま干潮時で河川側の水が海側に移動していたタイミングだったのかも知れないが、僕が想像していた巨大な紅河デルタの終焉=水とそれに溶け込んだ物資を運ぶという使命を終えて流れの勢いを全く失った状態、ではなく、まだまだはっきりとした流れがあるのである。不意に大井川(静岡県)の河口で見た光景を思い出した。しかし、大井川のそれは扇状地の半ばで海に注ぐものだから河川の流れがそのまま海にぶつかる状況はごく自然である。まぎれもなく三角州を形成している紅河でも同様の光景を呈していることは意外であり、驚かされた。
・河口と渡船の様子の動画(Youtube):Go to the end of Red river
扇の要
帰路は河口付近の渡船でナムディン省(右岸)に渡る。バイクを載せて船頭に10.000VNDを払う。10分ほどで渡り切った。
ナムディン市(Thành phố Nam Định)から上流側はしばらく左岸の堤防の上(Đê Sông Hồng)を走る。ハナム(Hà Nam)からフンイェン(Hưng Yên)の間を渡橋して紅河左岸を農村地域を北上していく。
点在する農家の家屋は大きく家鴨養殖用の池を持っているところも珍しくない。カトリック教会の塔を頻繁に見かける。そして定期的に沿道の集落が現れ、商店街を形成している。生鮮品や日用品の店舗が連ね、決して大きくない商店街だがどこも人の活気がある。商いをする人、買い物をする人、ただ座っている人… 小さいながらもそこには息づく街があった。日本の東海道や中山道の旧街道は一部の観光地を除き、地方部では寂れてしまっているが、ここでは活き活きとしていることにある種の懐かしさを感じる(※とはいえ筆者も地方の商店街全盛期の頃の記憶はない)。
北上を続け、大規模な工場の立地が目立つようになる。ハオハオの工場もあった。ハノイは近い。
豊穣な大地に農村が広がる。集落が点在し、フーリー(TP. Phủ Lý)、ナムディン(TP. Nam Định)、タイビン(TP. Thái Bình)、フンイェン(TP. Hưng Yên)… 等の都市がクラスタ状に発展して地域の中核都市の役割を担っている。そして、紅河デルタ地域全体だけではなく、ベトナム全土の中心都市ハノイが三角形の奥で悠然と構えている。今回、紅河河口まで自走して、広大な紅河デルタの様子を体感することで、僕のハノイという都市の捉え方が刷新した。