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自分の意見と他人の期待、どっちを取るか?それ、両方取っちゃおうぜ!

「これだ!」って思った瞬間、想像の誰かの期待に潰される悲劇

突然「うわ!これめっちゃイケてる!」って閃いて、パソコンやスマホ開いた瞬間。あなたも思ったことあるよね?
でも一瞬で思い直す。「え、でもこれじゃ読者が求めてる内容と違うかも…?」
「あ、これだとタイトルが弱いな…」
「ちょっと待って!アクセス数って…読者に受け入れられないかもしれないし、最悪怒られるんじゃないか?」
まさに、心の中でパニック。

だってさ、自分のやりたいことをドーン!って書こうとしたのに、読者が期待してることに引きずられちゃう。そうするとさ、次第に「え、これって俺が書きたかった記事なのか?」って不安になってくる。
でも、ちょっと待って。これ、マジで悪いことなのか…?

「読者が求めてるもの」って、誰が決めたんだよ?


結局さ、読者が求めてるものって何?
「え、でもみんなこういう記事が好きだよね?」って言うけど、それって本当に確かなのか?
自分が勝手に決めた幻想に過ぎないんじゃないかな?
ちょっと怖くなった時に、読者が求めてることを勝手に「こうだろう」と思い込んでない?

ほんとさ、「読者が求めてるもの」って実は誰も決めてないんじゃない?みんな、なんとなく「こうかな?」って感じで予想してるだけだよね。で、もしかしたら、「自分が本当に書きたいこと」に、読者だって引き込まれるかもしれないって思うと、なんかちょっと肩の力が抜けるよね。

自分の意見を大事にしつつ、相手のことも少しは考える…でもこれって簡単じゃないんだよね


「自分の意見を大切にしよう!」って言われてもさ、相手のことをまったく無視するわけにもいかないわけよ。
だからって、他人のことを優先しすぎると、自分の気持ちが消えちゃう。でも逆に、自己中心的にいきすぎても、誰も聞いてくれないわけじゃん。
「自分を大切にしつつ、でもちょっとは読者の気持ちも考えないと」、ってこれ、実はめちゃめちゃバランスが難しいんだよ。

「相手の期待に応える=自分の考えを消す」ってわけでもないし、「自分だけの世界に閉じ込める」わけでもない。
結局、なんかその真ん中のラインを歩けばいいんだろうなって思うんだよね。でもそれも、やってみないとわかんないっていうか…。

自由に書くためにはちょっとした勇気がいる、でも…その勇気、実はめっちゃ大事だったりする


でも最終的にはさ、「自由に書く」って言っても、ちょっとした勇気がいるんだよ。
例えば、自分が書きたいことを「これでいい!」って思って書いた瞬間、「失敗するかもしれない」って思っちゃうんだよ。でもその失敗こそが大事なんだよね。失敗しないと学べないし、自分の道が見えてこないから。

だから、たとえ読まれなくてもいいじゃん!って言っても、結局は「自分のいまの旬、いま心から伝えたいこと」を伝えることが大事だよね。
でもそれと同時に、「読者にも響くかも?」っていうちょっとした気配りがあっても良いと思うんだよ。この気配りってスパイス絶妙じゃない?あぁそうです、俺いいの思いついたやばいなと思いながら書いてます。笑

後から読んで恥ずかしくなるんでしょうけどね、それも、まぁ、いつものこと。

だからね、あまり固く考えずに、「自分を大事にしつつ、ちょっと他人のことも考える」っていう、ちょっとしたバランスを取って書けば、それだけでけっこううまくいくかもしれない。

結局、何が一番大事かってさ…


結局、言いたいことは、「自分が書きたいこと」と「読者が求めること」、これ両方をうまくバランスよく混ぜていくのが大事だってことだよ。
「え、それでうまくいくの?」って思うかもしれないけど、案外そういうのが一番しっくり来るんだよね。だって、読者だってただ「面白い」って感じたいだけだし、自分の伝えたいことをうまく混ぜれば、それが一番響くんじゃないかなって。

だから、次に何か書く時は、怖がらずに自分の思いを入れつつ、ちょっとだけ読者のことも考えてみて。両方が上手く絡み合うと、予想外の面白い展開になるんだよね。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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