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「ケンタランチ」という言葉に、思わず引っかかってしまった。なんだ、この違和感!?

「ケンタランチ」という言葉を見たとき、なぜか妙に引っかかった。


ケンタランチ。ランチケンタではない。、


ケンタッキーのランチメニューのことなんだろうとはすぐにわかる。でも、なんか違和感がある。なんでこんなに気になるんだろう?

最近、文章をたくさん書いているせいか、こういう「言葉の違和感」に敏感になってきた気がする。これまでは流していた言葉でも、「あれ?」と立ち止まるようになった。そして、そこに立ち止まると、何かしらの法則があることに気づく。

「ケンタランチ」って言われると違和感があるのに、「ガストランチ」なら気にならないのはなぜか?

「ケンタランチ」の違和感を考えてみる


まず、「ケンタ」と「ランチ」、どちらも知っている言葉だ。

ケンタ=ケンタッキー。
ランチ=昼ごはん。

じゃあ、ケンタッキーの昼ごはんを指す「ケンタランチ」という言葉が成立しない理由はない。むしろ、意味は通じるし、間違いではない。でも、なんか引っかかる。この違和感の正体は、なんやろう?

おそらく、「ランチ」という言葉の響きと、「ケンタ」のイメージが一致していないからだと思う。

「ランチ」と聞くと、どこかおしゃれなカフェや、レストランのイメージがある。たとえば「ガストランチ」だったら、ガストはファミレスだし、「ランチ」との相性も悪くない。

でも、「ケンタランチ」だと、「ケンタ」が持つイメージ

「ジャンクフード」「テイクアウト」「カリカリのチキン」「がっつり食べる感じ」と、「ランチ」が持つ「おしゃれ」「軽め」「バランスの取れた食事」のイメージがぶつかって、うまく噛み合わない。

つまり、「ケンタランチ」と言われると、頭の中で「ケンタッキーはランチっぽいのか?」という疑問が生まれてしまう。

「ランチガスト」だと違和感があるのはなぜか?


「ケンタランチ」と似たパターンで、「ランチガスト」という言葉を考えてみる。

「ガストランチ」は、ぼくのなかでなんとなく自然なのに、「ランチガスト」はちょっとおかしい。

この違和感は、「ランチなんたら」と「なんたらランチ」の違いに関係していそうだ。

よくわかんない?笑 そのままいこう。

「ガストランチ」は、「ガストのランチ」という意味になる。

「ランチガスト」は、「ランチというカテゴリに属するガスト」みたいな響きになる。

「ランチメニュー」という言葉があるように、「ランチガスト」というと、まるで「ランチの一種としてのガスト」みたいな印象になってしまう。でも、ガストはレストランの名前であって、「ランチ」というジャンルの中の1つではない。だから、「ランチガスト」と言われると、無意識に「えっ、ガストってランチの種類なの?」と頭が混乱する。

この法則を他の言葉にも当てはめてみると?どうなるのか気になったから、いくつか考えみる。

「マクドランチ」 これは、違和感少なめ
「ランチマクド」 ん?いけそう?なんか変?

「サイゼランチ」 まぁまぁ自然。サイゼでランチしようぜ!っていうもんね。

「ランチサイゼ」 ちょっと変、ザギンでシースー感。笑

となる。「なんたらランチ」のほうが、日本語として馴染みやすいのがわかる。

言葉の違和感は、きっと無意識に生まれる


こういう違和感って、いちいち考えなくても「なんか変だな」と感じるものだ。でも、改めて分析してみると、ちゃんとした理由があることに気づく。

人は言葉を無意識に分類していて、それが組み合わさったときに「正しさ」や「違和感」を感じるようになっている。

たとえば、「ガストランチ」は違和感がないけど、「ケンタランチ」はちょっと引っかかる。それは、ケンタッキーのイメージと、「ランチ」という言葉のイメージがズレているから。

そして、「ランチガスト」はさらに違和感が強い。それは、日本語の語順として、「ランチなんたらかんたら」は「ランチの一種」としての意味を持ってしまうから。

こういう法則があると知ると、言葉を選ぶときの感覚が少し変わってくる。

「言葉の引っかかり」を大事にしたい


こうやって分析してみると、「ケンタランチ」に違和感を覚えた理由が明確になった。でも、普段はこんなこと考えずに言葉を使っている。

でも、こういう「なんか引っかかるな」という感覚って、すごく大事なんじゃないかと思う。

たとえば、文章を書いていて「この言い回し、なんかしっくりこない」と思うことがある。それを無視せずに、「なぜだろう?」と考えてみると、新しい発見がある。

逆に、誰かの書いた文章を読んでいて、「すっと入ってくるな」と感じるときは、その言葉選びが自然だからだ。違和感のない言葉の並びは、読者の頭にスムーズに入ってくる。

だから、「ケンタランチ」に引っかかったことも、ただの違和感で終わらせずに、掘り下げてみる価値がある。

そういう「言葉の感覚」を磨いていけば、もっと面白い文章が書けるようになるかもしれない。

言葉の違和感を無視しない


「ケンタランチ」って言葉に引っかかった理由を考えたら、いろんなことが見えてきた。

言葉の組み合わせには、無意識に感じる「違和感」と「自然さ」がある。そして、その違和感は、言葉の持つイメージや、日本語の語順によって生まれるのかもしれない。

「ケンタランチ」は、「ケンタッキー」と「ランチ」のイメージがズレているから違和感があるし、「ランチガスト」は、「ランチというカテゴリに属するガスト」みたいな響きになってしまうから、これはこれで違和感がある。

こういう違和感を分析することで、言葉のセンスを磨けるんじゃない?

だから、「なんか変だな」と思ったら、それをそのままにせずに考えてみると、面白い発見がある。

言葉って、深い。

そして、こうやって考えるのは、なんだか楽しい。

ま、ランチケンタという繋がりについて、ここまで考えた人は、世界で数人なんじゃないかと思う。

どうでもいいや!笑


追記:お子様ランチなら馴染むのか?


あ、そうだ!思いついたから追記してみる。
「お子様ランチ」なら、すんなり馴染むじゃないか!

読んでて、「それ思った!」って人もいるかもしれない。実際、「ランチ」という言葉に対して違和感なく受け入れられている代表例のひとつが「お子様ランチ」だ。

じゃあ、なぜ「お子様ランチ」は違和感がないのか?


「お子様ランチ」は、もう完全に一つのセットメニューとして定着しているからだろう。「お子様=子ども向け」「ランチ=昼ごはん」で、セットで一つの名前として機能している。

もしこれを「ランチお子様」にしたら、きっと違和感が出る。「お子様のためのランチ」ではなく、「ランチというカテゴリに属するお子様」みたいになってしまう。

ここから考えると、「ケンタランチ」も、「ケンタッキーのランチメニュー」としての認知が広まれば、もしかすると違和感がなくなるのかもしれない。言葉の違和感って、慣れの問題でもあるんだな。

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