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誰かといたいけど、一人でいたい。この気持ちの揺れって?

「今日は誰かと一緒に過ごしたい気分だな。」と思って友達に連絡をしてみたけど、いざ「会おうか」と言われたら、「やっぱり今日は一人でいたいかも……」と急に思い直す。

こんな気持ちの揺れ、経験したことはないだろうか。誰かと過ごしたいという気持ちは確かにある。でも同時に、一人で自分のペースで過ごしたいという思いもどこかにある。この矛盾する感情、なぜ私たちは抱えてしまうのだろう。

人と一緒にいる心地よさがある


誰かと一緒にいるときって、特有の心地よさがある。おしゃべりしたり、笑い合ったり、美味しいものを一緒に食べたりする時間は、ぼくにとって間違いなく「幸せ」を感じる瞬間。電車の中で見た人の話とか、ホットコーヒーを買うのを迷ったとか、どうでもいい話まで。

特に孤独を感じているときには、人との交流が救いになる。自分の存在を認めてもらえたり、誰かの温かさに触れることで、「あぁ、自分は一人じゃないんだ」と実感できる。

でも、だからといって常に誰かと一緒にいたいかというと、そうでもない。むしろ、人と長時間一緒にいると、どこかで「ちょっと疲れてきたな……」と思うこともある。

一人でいる時間がもたらす解放感もある


一人の時間は、自分を取り戻すための時間だと思う。誰にも気を遣わなくていいし、好きなことを好きなタイミングでできる。ベッドの上でダラダラしてもいいし、何も考えずにぼーっとしていてもいい。


一人の時間は、自分を取り戻すための時間だと思う。誰にも気を遣わなくていいし、好きなことを好きなタイミングでできる。ベッドの上でダラダラしてもいいし、何も考えずにぼーっとしていてもいい。

一人の時間って、とても贅沢だ。

でも不思議なことに、そうやって一人の時間を楽しんでいると、ふと「あぁ、誰かと話したいな」と思う瞬間が来る。これもまた矛盾しているように感じるけれど、一人の時間と人との時間、どちらか一方だけでは満たされないからなのかもしれない。

「誰かといたい」と「一人でいたい」が同居する理由


この矛盾する気持ちの正体は、「人間は両方を必要としている生き物だから」だと私は思う。

誰かといる時間は、心を満たしてくれる。一人では得られない共感やつながり、安心感を与えてくれる。でも、一人の時間は、心を整えてくれる。他人と過ごす中で疲れた心を癒し、リセットするための時間なんだろうな。

「誰かといたい」と「一人でいたい」という気持ちは、一見矛盾しているようで、実はどちらも私たちが生きていく上で欠かせないものなんだと思う。

心の揺れに振り回されないために


では、こんな気持ちの揺れにどう向き合えばいいのか。ぼくが大事にしているのは、「どちらの気持ちも否定しない」こと。

たとえば、誰かと会おうと約束したけど直前で「やっぱり一人でいたい」と思ったときは、無理せず断ることもある。でも逆に、一人で過ごすつもりが「誰かに会いたい」と思ったら、急遽連絡してみることもある。

結局のところ、どちらかの感情を無理に抑え込もうとすると、自分が苦しくなってしまうんだと思う。

自分の気持ちに正直でいるということ


「誰かといたい」と「一人でいたい」。この気持ちは、どちらも自分の中にある大事な本音だよなぁ。それに気づき、その時々で正直に選択することが、自分を大切にすることにつながるんじゃないかな。

机に向かいながら、「今日はどっちの気持ちが強いんだろう?」と自分に問いかけてみる。そして、その答えに素直に従うこと。それが、この心の揺れとうまく付き合っていくための、ささやかなヒントなのかもしれない。

どちらも人間らしさということか


結局、「誰かといたい」気持ちも「一人でいたい」気持ちも、どちらも間違いじゃない。どちらかを選ぶたびに「あのとき反対の選択をしていたら……」なんて考えることもあるけれど、それもまた人間らしさだと思う。

だからこそ、迷いながらもそのときの自分にとってベストだと思う選択をしていけばいいんじゃないかな。矛盾だらけの心を持つ自分と向き合うこと、それ自体が人生を豊かにしてくれる気がする。

今日もきっと、誰かと会うか、一人で過ごすか迷う日が来るかもしれない。でも、その揺れ動く心の中に、あなたらしさがちゃんとあるはずだ。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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