銀次郎、14才。
柴犬。
日本の天然記念物である。
平均寿命は12~15年と言われる。
銀次郎、キミは14才になった。
やったね、銀。
ウチの犬になってまだ僅か4年だ。
マキさんとの付き合いはもちろん14年。
漫画やグッズのキャラクターにもなっている稀有な犬だ。
毎日キミのユーモラスな仕草に微笑まされる。
そしてどれだけボクたちの創作のヒントになってくれたろう。
とても感謝している。
そんなキミに変化が訪れたのは、コロナ禍に揺れる今年の春頃だったろうか。
「銀の様子がおかしい」
そういうマキさんの言葉を、ボクたちマキナル・フィールズの4人はにわかに信じられないでいた。
だって冬の終わりにボクと全力で走って散歩してたじゃないか。
それなのにマキさんは「散歩してもすぐ帰ってくる」「最後は息も絶え絶えになる」というのだ。
「病気じゃないのか?」
だが検査でも全くそんなことはなく、ボクが見る分には何の異常もないように思えた。
この頃のボクは大変多忙であり、またコロナに罹ってしまった場合、関係各位にお掛けしてしまうご迷惑を考えると、とても外に出る訳にはいかなかった。
世はまさにコロナ真っ只中。4月から決まっていた専門学校の講師の仕事も2ヶ月延期されていた。
次にマキさんが教えてくれたことは、完全にキミの老いを感じさせる事実だった。
「おしっこを止めることが出来ないのよ」
マンションのエントランス、あるいは飛び出した道路で垂れ流しになったりする。
または自分で止めたと思って歩き出すのだけれど、歩きながらじょぼじょぼ出ているのだと。
ボクたちのソーシャルには犬関係の沢山のフォロワーさんがいらっしゃる。
日夜、迷い犬や病気、老いの類の情報を目にしていて、それは犬の一生をイメージしたり、起こり得るリスクをシミュレーションするのに大変役立っていた。
そんな備えがあったせいか、ショックは感じなかった。
むしろちゃんとしてやろう、苦にならないようにしてあげようと思えた。
まずは紙おむつを装着してみた。
家の中で粗相をする訳ではないので、外で周囲の住民に迷惑を掛けない為のマナーという意味合いだ。
サイズで一苦労した。
銀は柴犬サイズではなく、大型犬かという大きさなのだ。
マキさんはサイズ合わせで四苦八苦していた。
「これだ」というサイズを見つけるのに二週間はかかったろうか。
散歩し始めは興奮して、上手く体も心も制御出来ない。
家を出るその最初のポイントだけおむつをしていて、おしっこしたら取り去って、あとは普通の散歩をする。
これが今日までの長久手での散歩ルーティーンとなった。
週半分、マキさんの会社に出勤する時は、広大な敷地内であったり田園地帯であるがゆえ、おむつはあまりしていない。
もう一つの変化は「空間把握の衰え」だ。
昔ボクたちは自動ドアの開く方向を間違えるキミを、漫画の中でユーモラスに描いた。
それは元気な頃のキミの茶目っ気ある「おとぼけ」だった。
それが今は老いの由縁で、視力、嗅覚の衰えや認知の問題であると分かる。
キミは自動ドアだけでなく、エレベーターや自分の家の入口さえ間違えるようになった。
家に上がる前、足を拭く時、興奮に任せて吠えるようになった。
大概そういう時はマキさんが大声で一喝しているので、奥で作業していてもすぐに分かる。
そうして散歩はこれまでの半分の量も歩かなくなり、食欲はグミよりなくなっていく。
寧ろグミのほうが老いの進行が遅い気さえする。犬は相対的に大きいほうが進行が早いとも聞く。
──それが今年の夏だったね。
ボクたちは「受け容れるべき事実」として、それらを粛々と受け止めていた。
グミの衰えも相まって、そして反するように若い猫三匹の元気さのコントラストもあり、キミの野性味や荒々しさの喪失を惜しんでいた。
しかし涼しくなったここ最近、散歩のスタミナが戻ってきた。距離も再び伸びてきた。
特にマキさんとの限られた顔合わせではなく、違う人に連れて行かれることで高揚すると分かってきた。
たまたまボクたちは、日曜日もAO入学の講義などに駆り出されている頃だった。
それでマキナル・フィールズの仲間に銀の散歩を頼んでいたのだ。
するとウキウキ散歩しているのよ、と報告を受けた。
仲間みんながそれを自覚していたので、これ以降、マキさんが休みの時でも誰か代わりの仲間が散歩に行こうか?と、言ってきてくれるようになった。
もう一つ、この秋、変化があった。
猫のセッション(限られた時間、三匹を会わせること)をする時、猫を運び出す際、グミのいる部屋を通らねばならない。
それがグミの視力と嗅覚の衰えによって、気づいたり吠えたりすることがなくなったのだ。
もちろんずっと同じ部屋にいることは、やはり出来ない。
ただボクたちの手間や気苦労は殆どなくなっていた。
これを応用して、廊下でキミ銀次郎をフリーにしてみた。
ほんの二週間ばかり前のことだ。
キミはグミの居るリビング兼アトリエの入り口数十センチまで近づいていった。
案の定グミは気づかなかった。
至近距離にいても、ドア一枚向こうなら分からないくらいだった。
ボクらのリビングの扉には縦長のガラスがついている。部屋から廊下が見えるのだ。
キミとグミが、ガラス一枚隔てて一緒にいた。
キミたちが、グミの発作や病気によって離れ離れになってもう8年。
それがこんな形で、同視界にまた入るようになった。
奇妙な形だけれど、グミは気づいてないのだけれど、キミはきっとグミのことを分かっているよね。
吠えもせず、黙ってグミを見ているんだね。
それからマキさんは廊下にクッションを置いた。
銀の居る部屋を開け放して、部屋でも廊下でも寝られるようにした。
廊下の自動点灯の照明をオフにして廊下をずっと明るくした。
するとキミはよく廊下に居るようになった。
それはアトムが生きている頃、マキさんのお祖母さんの所に寄せてもらっていた時の居場所に似ている気がした。
キミの居やすいようにしてあげようというマキさんの親心だろう。
今日もキミは廊下のクッションで丸まっている。
老いは恐ろしいものだろうか。
ボクはそうは思わない。
老いは病や事故や運命からすり抜けてきたご褒美だ。勲章だ。
誇らしいし、祝祭なのだ。
だからキミの今年起こった事々を醜態とは思わない。
それでいて老いは、飽きやマンネリと共に忍び寄ってくる。
毎日を少しでも新鮮に、驚きを持って迎えられるように。
遠からず、キミに向けたこんな文章も書けなくなるだろう。
もしかしたら来年さえないのかもしれない。
それでも、それまで。
ずっとキミを見続けて、キミに声を掛け続け、キミを触っているよ。
誕生日おめでとう、銀次郎。