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漫画の背景を生徒たちに描いてもらうこと。その絆について。

漫画「介助犬ライカ!」に足掛け3年携わっています。
あまり例のないことですが、専門校の生徒たちに背景をやってもらっています。

昨年の秋までは生徒が触っていた原稿がその数日後に公開されるというような、洒落にならないくらいギリギリの工程で描かざるを得ませんでした。

今は第一章が完結し「リミックス版」を一話から描き直している状況で、前ほど切迫していないスケジュールでやれています。

いずれそのまま完結編の第二章に突入しますが、それはまだ先の話。
それで生徒たちへのアプローチも「やらせる」より「教える」方に比重を割いて、のんびり目に進めていたりします。

これまでの生活なら出会えなかったはずの若者たちとの交流。
それは真希ナルセにとってとても大きな出来事でした。
トレース背景を教える、プロの原稿に描いてもらうという事柄以上の大きな付加価値がありました。

全然物にならない背景を描いていた子が驚くべき成長を遂げる様を何度も見てきました。
正直僕らより上手いのでは?という絵を描く人もいました。
気持ちが乗ってただの背景ではなくエモーショナルな作品にしてしまう子も。

最前線で流通に乗せている専門家なら「そういうものはプロとして載せるべきことではない」と言うのかもしれません。

でも、時には生徒たちと福祉について考えたり、絵や物語について意見を交わしたり、悩み事の相談を受けたり、流行り物を僕らが教えてもらったりした時間。
それらはかけがえのないものでした。

また漫画というジャンルの裾野を広げる役割を、僅かでも果たしたのではないか、とも思えるのです。

有志の集まりだからこそ生まれた、自主的で自由な空間が、zoomミーティングというとても現代的なツールによって続けられてきました。

zoomであるということで、僕らはグミや銀次郎から離れることを最小限に抑えることができました。
学校に通うのは週一回。それ以外はzoomで。この我儘を理解していただいた学校関係者に感謝の念が堪えません。

ライカのプロジェクトはまだ何年も続いていくので、これからもイラストレーターや漫画家の卵たちとの出会いは続いていくのでしょう。

仮に学校というフィルターを通せない事態となっても、僕たちは何らかの方法でクリエイターになりたい人たちと一緒に創り上げていきたいと考えています。

そのような誰もやったことのない試みで、僕らのキャリア「最後のフィクション長編」を描き上げたいと思っています。

現時点で150名以上の生徒さんが関わっています。
この方々が福祉や補助犬のことも知り考えるようになった、という事実もとても大きいことだと自負しています。
また自分の生まれ育った地域が漫画の舞台となり、それを自分たち自らが描いて全国の人に読まれるという体験も、稀有なことだと思います。

こう記していくと何かと尊いことばかりだと思われるでしょう。
でも実際は「課題があるので今日は出れません」だとか、「背景ばかりで飽きた」とは言わないまでも、単調な作業に根を上げ離脱していく人も少なくありません。
自分に向かないと見切りをつける人も結構多いのです。

「背景を描く」だけではなかなか惹きつけられないのです。
そこで僕たちは考えました。技術や考え方、あるいは人間性そのものをどんどん挟むようになったのです。

プロ漫画家の考える方法論・思い、その他雑多なレア情報などをおまけ的に入れていきました。
マキさんのベクターラインの描き方は全国有数の技術だと思うので、それも実演・解説をしました。

僕らの授業では「漫画」に関する内容を契約上やれません。講義として契約しているのは、挿絵的なイラストと背景制作についてだけです。これは純粋に学校側の事情です。
有志参加、授業でない時間、報酬の発生しない場。そういう特殊なフィールドで、ライカの背景制作、通称「ライカゼミ」の「おまけ講義」は続けられてきました。

「無償でやるのは惜しいのではないか」と言われたこともありますが、こと「ライカ」に関しては半分以上ボランティアだと思っています。
お金や立場などを度外視した姿勢でやっています。

これには本当に是非があって、講師としては色が出過ぎているのかもしれません。僕らのキャリアに興味がない方ならノーサンキューということにもなるでしょう。

それも分かった上でなお、この異常なコロナ禍で余りに生徒が不憫に思える事実を多数目撃してきて、せめて僕たちはより濃く個性的な存在であろうと、灯台の光のようであろうと決めました。

その成否は自分たちでは分かりませんが、これに魅了された子たちもいます。

昨晩、ライカ背景を手掛けた21年度卒業生たちがzoomで集いました。
近況報告、他愛ないことから深い考察や漫画論まで、非常に濃い4時間を過ごしました。完全に同窓会でした。

この集まりには来ないのかもな、というメンバーも来てくれたりしたので、僕はすっかり感激してしまいました。
そんな気持ちを押し殺して、努めて冷静に進行を仕切ったり、道化を演じたりしていました。

マキさんはいつもと変わらずツッコミ役に徹してくれたり、優しい聞き役をしてくれたりしました。

ここに集えなかったたった一人のとある子を、みんなで心配していました。次やるなら来てほしいと願っていました。
集えなかった子も含めて不思議な絆があるチームです。
プロデビュー者がもう二人いて、担当付きで頑張っている子もいます。

皆とても快活で歯切れ良くて、そして懐かしそうで、その空間を僕は少し感傷的に、そして心地良く感じていました。

デビューできた子のお祝いも兼ねた集まりのはずなのに、音頭をとって動いてくれたのもその子当人でした。
僕らにとってそれは思ってもみないギフトになりました。とても感謝しています。

この子たちが卒業する正にその春、コロナが出現したのです。
その後の学生たちは、受けられるべき学校行事も受けられず、互いの顔もマスクで分からぬまま卒業した世代です。
ギリギリ顔を見知っている21年卒組は、やはりどこか軽やかな印象です。
「zoom、よく分からんわ~」などと言います。それはリモート授業をしなくてよかった事実を浮き彫りにします。

余り俎上に載らないことですが、教育関係が当たり前には供給できなくなった事々、それは思ったより大きなことだと実感しました。現場にいないと分からないことかもしれません。
子供たちの心の磁場が、少しずつ狂ってきている気がします。
徐々にその歪みは世間に現れて社会を蝕んでいく、そんな気がしてなりません。

そんな影響を余り受けなかったかに見えた21年組も、社会に出てひと通りの洗礼を受けているようでした。
僕たちが育ったような豊かな時代ではもうないのです。
彼らを笑顔にしたい、何か役に立ちたい、ここ数年その思いは強くなっていました。

4時間を超えてしまったので、その日のzoomはさすがに僕がお開きにしました。
確かに息づいていた彼らの、残留しているエネルギーのような余韻が、その夜遅くまでエコーのように頭の中で鳴っていました。

いつかzoomでなく顔を合わせて再会できたらいいなと思っています。
他の年度の子たちも現状報告してくれたら嬉しいですし、そのような場も可能なら設けたいです。

完結した暁には会場を押さえて、何百人一同に会した「ライカ同窓会」を行なう、そんな夢想もする今日この頃です。

この絵は彼らが在学当時に「マキナルの制作メモ」に描いていたものです。

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