私がYouTube配信をいつまでたっても始められなかった理由
こんにちは。
牧 菜々子です。
2月から、YouTubeを始めました。
景色のいいところでエッセイを朗読する動画を配信しています。
このYouTube、本当は、noteよりも先に始める予定でした。
気づけば、noteを5か月も継続することになり…。
YouTubeのほうを、なかなか始められなかったのです。
理由は、おそらくですが、私が「映像を残すこと」自体に関心が薄いから。
子どもの頃から、なじみがないのです。
「映像を残す」という意識が薄い
小さい頃、わが家では、ホームビデオを撮ることは、ほとんどありませんでした。
唯一、記憶にあるのが、フィギュアスケートを習っていた頃の発表会のビデオです。
自分があまり撮られてこなかったので、結婚して子どもが産まれてからも、動画を撮る機会が少ないのです。
運動会も、親子遠足も、どちらかというとその場でわが子を見ていたいし、接していたい。
「映像を残す」という意識が薄いのです。
動画を撮るのもひと苦労
こんな私なので、「動画を撮る」ことのハードルも、異様に高い。
カメラ!
録画!
開始!
と、いちいちビクビクします。
赤ランプが、何度やっても緊張を誘う…。
それでも、水辺などのきれいな景色と、時々入る小鳥の声などに癒されつつ、なるべくゆったりした雰囲気の朗読動画を撮るようにしています。
もちろん、ファイルの圧縮や動画投稿作業も、わからないことだらけ。
できなくて停滞しては、日を置いてから再開したり…。
できたと思ったら、次の時には忘れていたり…。
なじみもなく、関心も薄いことに関しては、もう本当に大変です。
始められない時はどうやったって始められない
それでも、あんなに始められなかったYouTubeを、こうして始められていることは、大きな進歩。
前と比べたら、ずいぶんできるようになったことが増えました。
この辺で一度、自分を労ってもいいかなぁ。
そう思える余裕も出てきました。
始められない時には、どうやったって始められない。
そういうものですよね。
だから、「もっと早く始めればよかった」なんて、全然思いません。
できないものはできないんです。