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女は愛嬌の年齢制限

人を呼び捨てで呼ぶことが苦手だ。

偉そうだから、とか
恥ずかしいから、とかそんな理由は特にない。
なんとなく苦手なのだ。

恐らく、我が家がみんな呼び捨てで呼ばないからだと思う。
娘たちには「ちゃん」づけで、
両親は「お父さん」「お母さん」で呼んでいる。

私の姉はとても奇特な人で、
「まきちゃんなんて大嫌い!」と嫌いな相手にもご丁寧に「ちゃん」づけしてくれる。
優しい人である。

会社や人によって様々かと思うが、
うちの会社の人のほとんどが役職をつけて呼ばれることを嫌う。
他の会社では役職付けで呼ぶところもあるだろう。
良い意味でも悪い意味でも自分と相手の役割が明確になり、私はとてもいいことだと思うのだが。


呼び捨てで呼ばれることも、好ましくない。
会社ではほぼないことだが、
彼氏や友達にも呼び捨てで呼ばれるのはあまり好きではない。

これも恐らく家族の中で私を呼び捨てにする人がいなかったことが起因だと思う。


○●○
「ちゃん」づけで呼ばれること、呼ぶこと。
私は明確に役割を分けたいのかもしれない。

「ちゃん」づけで呼ばれること
それは即ち大切にされていることを意味するし
「ちゃん」付けで呼ぶことは
可愛がりたい気持ちを意味する。
のだと思う。私の中で。


呼び方なんて無意識に決まっていくものだからこそ
その中に意味を感じてしまうのかもしれない。


私は誰からも、年上からも年下からも
同性からも異性からも「ちゃん」づけで呼ばれ続けたい。

いくつになっても大切にされたい、強欲な人間なのだ。

それを叶えるためにはやはり
愛でたいと思う存在、「ちゃん」が似合う存在であり続ける必要がある。
女は愛嬌。
愛嬌でどこまで乗り切れるのか、天国に行くまで日々実験である。

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