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無心になるのはセラピーになる
なんとなく、、、
ブラインドを1枚1枚、拭き始めた、夜の9時
半。
あ、なんか、止まらんわ。
って感じてる自分を自由にしようと、クイックルシートを手に、没頭することにした。
没頭時間は、気持ちがいい。
没頭する内容はなんでもいいのだ。
たいてい、私は、掃除か片付けか洗濯。
そうやって、没頭した時間は、
きっと、自分の真ん中に繋がるんだと思う。
今に集中するしね。
そうしていたら、
珍しくLINEの着信音。
息子が帰省の日程を伝えてきた。
ちょうどまた、私が休みの日に帰ってくる。
不思議とタイミングバッチリなのが、意識が繋がっているのを感じて、とても嬉しいんだ。
返信してまた拭き拭き。
心もとてもすっきりした。
パンを焼いてコーヒーを淹れながら、ほんの少しの洗い物を洗う。
ふと、中学の頃の合唱でコントラバスを演奏したのを思い出した。
後ろで、ひっそりと低音で合唱を支えるのが、とても心地よかったんだよな〜って。
楽しかったなぁ〜。
それは自由曲で、
課題曲はピアノ伴奏だった。
これはトラウマ級にイヤな思い出がくっついていた。
やりたくない伴奏を結局するハメになり、途中で間違えて止まってしまった。幼い頃の発表会でも、1年前の合唱でも、私は演奏を止めてしまった。もう舞台で弾きたくなかったのに、大男の担任の圧に負けたのだ。
何につけ優勝にこだわるその大男は、その一件以降あまり口を聞かなくなった。さすがに少し苦しかった。
と思ってた。
ずっと、その思い出ばかりがフォーカスされていたのだが、
今日、自由曲の演奏がとても楽しかったことを思い出した。
私は『両方』を経験させてもらってたんだ。
そして、次の年はピアノがとびきり上手な友達と同じクラスになり、私は伴奏を免れた。
あの大男が『ピアノが弾ける生徒』から私を外した証拠だった。
それも、評価が下がったように感じて、ホッとした一方でがっかりしてた。
今思えば、適正な評価である。
私のメンタルは伴奏に耐えられなかった。
ちゃんとそこを見てくれた、とも捉えられるではないか。
口を聞かなかったのは私の方だったのかもしれない。間違えて優勝を逃した罪悪感に苛まれ過ぎて、怖くて萎縮してしまっていた。
でも、誰も、
クラスメートも大男も、誰も、
私のミスを責めるようなことを言う人はいなかった。
そういえば、いなかった。
そこも気づいてなかった。見えてなかった。
あれ?あいつ、、、
いい教師だったのかもしれない。。。
って過去がひっくり返ってしまった。
そもそもコントラバス弾きたい、なんて、結構なわがまま?を聞いてくれてやらせてくれたし、そこで楽しめていたのに、
ずっとずっと忘れてた。
私は陰ながらのサポート的なことが、あの頃から好きだったんだなぁ〜って、
最近感じていたことの答え合わせができた。
そんな想いを巡らせて、
コーヒーを飲みながら開いた本には、
「現実」は自分で自由に変えられる!
の見出し。
いや、ほんとに、そうですね、と。
こういう一連の流れ、ほんとに好きです。
こういう流れは、
無意味に、
何の脈絡もなく、
ただ没頭することから、始まると思ってる。
ただ流されてみると、
ちゃんと幸せになっていく。