ドリップ途中のコーヒーの粉をぶちまけて
私はコーヒー豆を自分で挽いて飲むのが大好きです。
豆は決まったお店から取り寄せてます。
スッキリと飲めて、ほんとに美味しいんだ、これが。
全く胃に負担がかかる気がしない。むしろ私にはいい薬のように感じる。
ドリッパーは磁器のものを使っていて、しっかり重い。
アイスコーヒーにしたかったので、氷をいっぱい入れたグラスにドリッパーを乗せた。
グラスの口径が小さくてドリッパーがうまくハマらず少し不安定だったけど、まぁ大丈夫でしょう。
と楽観的になったのが運のつき。
蒸らしの間、少し目を離した時にバランス崩したらしく、ゴトンという音と共に、キッチンの床にお湯を吸った新鮮な挽き立て粉が散乱。。。
あ〜やっちまった。
私のバカ!
そこから、なんだか、苛立ちが抑えられなくなった。
私のバカ!私のバカ!バカバカバカ!
しばらく自分に腹を立てて、
なにか、溜まっていたものが噴出でもするかのように、フツフツと出てきた。
氷にあたり、思いっきり流しに投げつけてみたり、ぐわぁ〜っと解放されたがってる怒りたちが出てきた。皿を投げつけたい衝動に駆られたけど、そこは後のことを考えて投げられないのが、まぁ、ありがたい性分。
昨日、これを見て、やけに納得して、感情解放を身体からしたからかな?
感情とは内臓感覚。とな。
おもしろい!その捉え方。
感じることにより集中できるイメージで、昨日は『怒り』を少し解放したんだ。
でもまた出てきた。
私のバカ!
私はバカ!
私はバカだ!
たった一度の失敗なのに、
私はものすごく私に腹を立て、
私をバカにしてた。
出来事はともかく、とりあえず、自分に向けられた腹立たしさを思いっきり身体の感覚として感じてた。
片付けるのはそれからよ。笑
おなかから胸から、ムカムカと怒る。赤いエネルギーがおなかから発せられてるみたいだった。
失敗することが許せない!そんな怒りだった。
本当の失敗とは、敗することを失うこと。って、確かアンミカさんが言ってた。
つまりチャレンジすることをやめること。
失敗をしなくなることが、本当の失敗。
失敗は学びにする。だって。
こういう捉え方を子どもの頃に知りたかったな〜。
失敗は恥ずかしい。恥。
これがほんとに、イヤな刷り込みだ。
私はこうやって、失敗するたんびに、私が私をこの上なく罵って怒ってた。恥ずかしいったらありゃしない、って。
そりゃ、失敗したくないよね。
失敗した時って、自分のキャパの限界点にいるってことだと思うのよね。
これを工夫して広げていく。
同じことで失敗しなくなる、とは、まさに成長。
なのになのに、バカバカバカ!って、
失敗しないようにって道を選んできてた。
でも失敗してきてるけど。笑
私は私のことを恥ずかしい人って思ってるみたい。みっともない人って。
そう思ったままでいいから、
これからはチャレンジを楽しもう!
おなかを壊さない程度に。笑
散らかった粉は、どうせ濾すんだし、と思い、多少ドリッパーに戻した。
気を取り直して床に座り込んだまま落としたアイスコーヒーは、異様に美味しくて、一気にゴクゴク飲んでしまった。