11.もう涙すら出てこない
プロローグから続いています。
名古屋にある叔父の家に着くと、
叔父も叔母も笑ったら良いのか泣いたらいいのか
そんな顔で私を出迎えてくれた。
温かくておいしいご飯を食べさせてくれ
温かいお風呂が用意されていて
もうそれだけで十分だった。
ただただ、安心している私がいた。
思う存分叔父にも叔母にも甘えていたのだろう。
寝るまで「お姉ちゃん」と私が呼んでた叔父の娘も
私に付き合ってくれた。
朝起きて、叔父や叔母と散歩をし、
ご飯を食べてお風呂に入り、
寝るまでお姉ちゃんと話をする。
お姉ちゃんも叔父も英会話の先生だった。
ここ最近何があったかには全く触れず、
私が本当に話したかったアメリカでの楽しい出来事や思い出話を
何度も何度も聞いてくれた。
私はそこに一週間ほど滞在する予定だった。
受験をすることに決めたからだ。
アメリカの高校の滞在日数が足りず
日本の高校への単位移行ができなかったため、
私は新たに日本の高校を受験しなければならなかった。
でも地元の友人たちから盛大に見送りをしてもらい
寄せ書きまでもらっていた私は、
今のこの状況の中友達に合わせる顔が無かった。
むしろ、現実に起きていることを目の当たりにしている
惨めな自分を見せたくなかった。
だから当時は珍しかった「単位制」の高校を受験することに決め、
その準備のために一週間くらい滞在したら
祖父母宅へ帰ろうと思っていた。
しかし、今度は叔母が血相を変えて
私に東京へ戻るように言ってきた。
3日くらい経った日のことだったと思う。
カバンに一杯食料や飲み物を詰め込まれ
名古屋駅まで直ぐ届けられた。
このご時勢
誰もこんなに食料一杯詰め込んだカバン持つ人なんていないよなぁ。
あまりにも沢山のことがありすぎて
妙に冷静になっていく。
叔母から涙ながらに言われた。
麻貴ちゃん…
何があっても驚かないんだよ。
こう言われても考えることすらなかった。
また何かあったのだろうということは
この一ヶ月で学んでいた。
食料一杯のカバンを持ち
名古屋駅から東京の自宅まで一人帰っていく。
もう迎えすらいない。
一人ですべてやらなければならない。
玄関を上がりリビングに入ると、
私は息を呑んだ。
リビングにある電話近くから中央付近の床まで、
血液が大量に流れた跡が
拭かれもせずにそのまま残っていた。
その横には、
またお酒を飲んでる義父が呆然と座っている。
義父の服にも沢山の血痕が付いたままだった。
私は頭が真っ白になり、
隣に住む親戚の家に駆け込んだ。
私を見るなり、
そこに住む親戚の叔母は私を抱きしめてくれた。
そして、こう教えてくれた。
母と義父は弟の親権のことで口論になり
義父に殴られたとのことだった。
そして血だらけとなった母が警察を呼び
母は病院へ祖父母と行ったとのこと。
パトカーのサイレンで親戚の人も駆けつけてくれていたことも
その時に教えてくれた。
そして私が自宅に着いたのは、
ちょうど一通り警察が取調べなどをして帰っていった後だった。
涙なんかもう出ない。
弟は無事かな。
ママはまだ病院なのかな。
そんなことが人事のように脳裏に浮かんでくる。
靴だけ取りに家に戻った。
はだしで私は出てきてしまったからだ。
そしてお財布を取りにリビングに戻ると
義父はまだそこにいた。
お前も俺を捨てていくのか!
もう、返す言葉が何もなかった。
怖さも何も感じない私が、
ただ呆然と義父を見下ろしていた。
当時40代後半だった義父が
16歳の私に放った一言がこれだった。
財布と靴を持って、
そのまま家を飛び出し祖父母宅に向かった。
病院から戻っていなくても
家に誰もいなくても
もうどうでも良かった。
これが、私のこの家での最後の思い出となった。