6.私の居場所
プロローグから続いています。
しっかり者というよりも大人な私。
なんでも言うことを聞き、いつも笑顔。
勉強もそこそこでき先生には重宝がられ
転校して一年も経たずに生徒会に入る。
とても大人達にとって“都合の良い”子どもだった。
大人な私は一目置かれる。
目立つ私は一目置かれる。
一目置かれるたびに、
まるで自分を崩せない私が
一つ一つ砂の城の如く完成していく。
日中は、友達と鬼ごっこもした。
ドロケーだって一輪車だってやった。
友達と同じように笑い合って
日が暮れるまでおしゃべりもした。
苗字も自分の中に根付いてきて、
まるでその苗字で生まれてきたかのような
話までできるようになった。
そんな私。
いつも大人な私。
馴染んでいるというより
どこか少し浮いている気がしていた。
実際には、浮いていると言うよりも
一人距離をとっていたのだろう。
友人達からも「大人っぽい」と言うイメージが
いつしか浸透していき
完璧な大人な自分も板についてくる。
週末になると真鶴の別荘へ行くことが多かった。
海水浴や温泉、
そして行きつけのすし屋をおぼろげながら覚えている。
印象深いのは、母や義父が好きだったJAZZだ。
よく夏になると野外で行われるJAZZコンサートに
連れて立って行っていた。
何がどうなって友人になったのか分からないが、
有名なミュージシャンとも義父はすぐ仲良くなる。
その時には義父のスクールにいる
アメリカ人やカナダ人講師の人も交ざり、
とても賑やかで華々しかった。
振り返れば、
前の家も沢山人の出入りがあったのだ。
いつも大人たちがビールやウィスキーを飲みながら
ドンちゃん騒ぎしたり、マージャンしたり
賑やかだったのは同じだ。
でも、ここは何かがそれまでの家とはいつも違い、
別世界の華やかさがいつもあった。
泥臭くなくスマートで
私にはドラマのワンシーンのように映った。
満喫していないわけではない。
楽しんでいないわけではない。
もちろん楽しいこともたくさんあり、
これまで経験できないものも経験させてもらっている。
でも、ドラマのワンシーンを
いつも外側から見ている感覚だったのは拭えない。
どこにいても
誰といても
外側から覗いているように感じる自分がいる。
そんな私の一番落ち着く時間が
ピアノを弾いているときだった。
あの時間だけは自分の世界に同化できた。
新しい家に来てから習い始めたから
贔屓目にも上手とは言えない。
それでも当時の私にとって
肩のチカラを抜けることのできる
唯一居心地の良い時間であり場所であった。
一人で過ごす時間が増えたのは
この頃からだったかも知れない。
その頃、私の部屋がお茶室から庭に建てられた
「離れ」へ移ることとなった。
以前よりも部屋は広くなり、
自由に使えるその空間は私だけのもの。
誰にも遠慮のいらない私だけのもの。
私だけのもの。
私だけのもの?
私だけ別?
私だけ・・・
小学6年生。
弟が生まれた。