21.壊れ始める心
プロローグから続いています。
日々何が起ころうと
変わらず太陽が昇り陽が落ちる。
私にどんな感情が芽生えようと打ち消そうと
淡々と時が刻まれていく。
同じように朝起きて
同じように仕事へ行き
同じように友達に会い同じように彼と暮らす。
日常というのはそういうものだ。
この日も同じように朝起きて
同じように電車に乗って同じように事務所へ向かった。
いつもの通勤電車。
ぎゅうぎゅう詰めの車内は
高校生から乗りなれていた。
そして同じ時刻の電車に毎日乗れば、
なんとなく見慣れた人たちも増えていく。
今日はあの人がいるんだな。
今日はあの人見かけないな。
同棲しているとはいえ、
当時まだ彼も自分の部屋を借りていたから時々帰ることがあり、
この日は一人で通勤する日だった。
すると3駅過ぎたあたりで、
電車が前に詰まっていると一時停止した。
こんなことはたまにあること。
ボーっと車内からガラス越しに外を眺めていた。
すると、突然体中が心臓になったかのような動悸がしてきた。
それと同時にあちらこちらから嫌な感じの汗をかきはじめる。
意識が遠のいていくような不安感が湧いてきた。
風邪でも引いたのかも知れない。
そんな風に言い聞かせるが、
体中で感じる動悸や不安は増すばかり。
私の異変に目の前に座っていた人が気付いてくれた。
席を代わりましょうか?
いえ、次で降りようと思います。
そう言ったもののまだ電車は発車する様子は無い。
そして、私は席を替わってもらって自分の体の異変に耐えていた。
ここまでで、おそらく2分程度の出来事。
電車は2分程度止まっただけで動き出し、
すぐ先にある駅に到着した。
たった2分がこれほど長く感じたことはこれまでになかった。
最近仕事で疲れてるのかな。
いろいろあったからな。
そんな風に思いながらその駅で下車し、
今日は熱があるから仕事を休むと事務所に電話を入れることにした。
3駅戻り、自宅マンションに着く。
熱を測ってみるが熱は無く、
先ほどの動悸も汗も気付けばなくなってきた。
あれはなんだったのだろう。
一日休息すれば良くなるだろう。
翌日、また仕事に行くために一人駅に向かった。
すると今度はホームで電車を待っているときに、
昨日のような動悸がしてきたのだ。
おかしい。
私は何かがおかしい。
これまでに感じたことの無い不安感で
全身が包まれていくのを感じた。
私だけ異空間にいるようにさえ思えてきた。
それでもどうにか事務所へ行って仕事をこなし、
知り合いに私の身に感じたことを話してみた。
麻貴は疲れているのかもね。
心療内科に相談に行ったらどう?
心療内科。
そんなはずは無い。
そんなに私は軟(やわ)じゃない。
そう打ち消したかったが、
包み込むような不安や動悸は拭い去れない。
誰も知り合いの居ないような街の裏路地にある、
小さな心療内科に行くことにした。
不安神経症ですね。
お薬飲んでいればすぐに良くなりますよ。
そんな風に言われ小さな窓口で処方された薬を
一錠その場で飲む。
頭がボーっとしてきた…と思ったのも束の間、
30分もすると先ほどまでに感じていた動悸はすべて消え去った。
半信半疑ながら電車に乗り、
乗換えをしながら家路につくが何の変化も起きなかった。
ちょっと心が疲れただけね。
心の風邪ってよくきくものね。
そんな風に言い聞かせ、
薬を飲みながら仕事に向かうようになっていった。
でも、しばらくするとまた動悸が始まるようになる。
おかしい。
薬を飲んでいればよくなると言っていたのに
私の頭はおかしいんじゃないか?
また、裏路地の心療内科に受診する。
ちょっと薬を増やしてみましょう。
そんな風に薬ばかりが増え、
一年もすれば処方される薬は上限まできていた。
それでも仕事が…
でも、もう気合だけではどうにもならなかった。
この一年
一部始終を何も言わずただただ彼は見てきていた。
初めて相談してみた。
私、明日、仕事に行けないかも知れない。
満員電車は薬を上限まで飲んでいても
乗れる気がまったくしないの。
明日から始発で新宿まで行って、
夜電車が空いた頃を見計らって帰ってこようと思ってる。
遅くなっても帰ってくるから。
私の早出や帰りが遅いことを心配してもらわないように、
そう彼に伝えたのだった。
だったら、一緒に行くよ。
帰りは仕事が終わるまでどこかで時間つぶしてて。
この日を境に、私は彼と始発で新宿へ向かい、
そこから私は事務所近くのカフェで時間をつぶし、
彼はそこから職場へ向かう。
そんな生活が始まった。
帰りはまたカフェで彼の仕事が終わるのを待つ。
仕事帰りに私を拾い、自宅マンションまで付き添いをする。
申し訳なさもあった。
毎回毎回自分の職場とは違う方向に私を送り届ける彼に
罪悪感も感じていた。
だらか、時々一人で山手線で家路に着こうと試みたこともある。
でも、次の駅でまた降りる。
そこから電話し、
ごめんなさい。
私○○駅に居るんだけど、ここから動けなくなってしまった。
そんな風に電話を入れた。
いいよ。待ってて。
彼はそれしか言わない。
それしか言わずに迎えに来てくれることに
ますます罪悪感を感じていく。
でも頼るしかなかった。
仕事を続けるためには
罪悪感を抱えたまま頼ることしか思いつかなかった。
それでも、薬さえ飲んでいれば
必ずすぐ良くなるものと信じていた。
まさか、これがこのあと13年間続くなどとは想像だにしていなかった。