23.こんな私が夢を描いていいのだろうか
プロローグから続いています。
事務所には大学に受かってから通うことを報告した。
受けることはなんとなしに伝えていたが
詳細は事後報告だったから、
弁護士は苦虫をつぶしたような表情をしていた。
なにせ受かったところは夜間学部ではなく
昼間学部だったからだ。
だから、正社員からパートタイムに切り替えてもらったり
手続きをしてもらったり、
今後の働き方もこの時にそそくさと決めざるを得なかった。
昼に仕事をしながら昼間の大学に通う。
そんな、想像以上に忙しい日々を送ることになる。
でも、環境を変えてパニックを治すには
このくらいのことが必要だと疑わなかった。
曜日によっては午前中に授業を詰めて午後に事務所に通ったり、
午前中に事務所へ行き午後に授業を受け、
さらにその後事務所へ戻る…そんな日もあった。
それもこれも環境の変化が
きっといい方向へと運んでくれるものとの期待のうえで、
私の劣等感を埋めることと同じくらい
忙しいことすら完治への道のりという意識があった。
授業は試練の場以外の何物でもない。
一般教養なんていうものは
この6年間何もやってきていないのだから、
数学に理科や体育なんて、
現役大学生に混じって受け続けると
私の劣等感にさらに拍車が掛かることを知らされた。
一人だけ年上という妙なプライドまでが邪魔をする。
講義に至っては
大きな講堂に自分がいることを何も感じないように、
必死にノートを取って時間が過ぎるのを待っていた。
そして授業が終わると、
顔見知りに声を掛け大げさまでに仕事が忙しいふりをし、
毎回毎回走り去るようにその場から立ち去る。
実際には授業ごとの緊張感に耐えられず
その場に居ることが限界だっただけなのだが、
そんなことがバレてはならない。
年上というプライドもある。
ちゃんとした大人でなければならなかった。
本当は、かすかに大学生という暮らしに夢も抱いていた。
友達を作り、サークルに入り…
そんな世界が頭を掠めないわけではなかったが、
それを感じる間もなく
自分を取り繕うことに必死な日々を送っていた。
それでも変わらない。
まだ変わらない。
これだけがんばっているのに、
なぜ変わらないのか?
そんな想いを打ち消すように、
がんばり続けることが克服への道だと信じて疑わない。
あれだけ色んなことをやってきた。
私ならやれるはず!
乗り越えられるはず!
これまでの自分を投影しては、
自分の力ですべて淘汰できるはずだと歯を食いしばりながら進んでいた。
そんな中でもホッとできる時間もある。
毎日、耳に入らぬ授業のノートと格闘し、
記憶に残らぬテスト範囲を夜遅くまで彼に付き合ってもらっていた。
目で見た言葉を手だけが書き記した記憶の無いノートを
毎晩のように暗記や宿題に淡々と付き合ってくれる彼。
この時間が唯一、息が吸える感覚がした。
そんなある日。
旅行に行った先で彼からプロポーズされた。
同棲してから5年近く経過していた。
この5年間、私は結婚する気がほとんど無かった。
嫌いだったわけではない。
喧嘩の一つもない彼と、結婚を夢見なかったわけでもない。
今の時代同棲だけで十分よという表向きな決め台詞の裏側に、
こんな私が結婚なんてしてはいけないという
陰のような得体の知れない何かがあった。
私は普通に生まれ育った訳ではない。
まして、今はパニック障害だ。
こんな私が普通の家庭を築ける筈がない。
こんな私が結婚なんてしたら失敗するに決まってる。
祖母も母も離婚経験者だった。
きっと私も・・・
彼は両親、兄弟、親戚に囲まれ
伸び伸びと育ったのだろうと思うような生まれ育ちだった。
年月を経るにつれて知る彼とのさまざまな背景の差に、
結婚というものに怖さを感じていた。
父親も知らず、兄弟すら会えぬ状態。
こんな私が普通の奥さんになんてなれるわけが無い。
もし子どもができたら?
どんな風に育てたらいいのだろう。
普通のお母さんってどんな感じ?
家庭というのはどんな感じ?
不安と怖さで、なんとなく交わしてきた結婚。
どうせ紙っぺら一枚だと、
事務所で離婚を数え切れないほど見届けていた私は自分に言い聞かせ、
本当の気持ちに蓋をしながら交わしてきたような気がしている。
そんな私が結婚を承諾した。
ありがたい気持ち。
素直に嬉しい気持ち。
そして、心からホッとしたい気持ちがようやく勝(まさ)った。
つづく