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コロナ禍備忘録③弱音を吐いた時に見える色々なこと

4月7日に37.3度の微熱が出てから、一日通して平熱と言える36度台で安定したのが4月24日。
その前の週末から36度台を示すことが増えて、朝一番は36.2度まで下がったりしていたものの、
一日のうちで体温が上がると言われる夕方に37.1度になるなど、なかなか自信をもって平熱とはならなかった。

とは言え、人間は通常でも一日のうちに大きく体温変化があるそうだ。
毎日こんなに何度も検温することもそうそうないので、
この状況も相まってその変化に驚いてしまう人も多いようだ。私も例に漏れず。

そういえば20代の頃、数日微熱が続いて大きな病院の外来を数時間待って受診したら、
「37.1度は熱とは言わない、そんなことくらいで受診するな」と一蹴されたことがある。
若い女医で、もしかしたら同じ年代だったか、余計私のことが柔に見えたのかもしれない。

体調を崩すと、身体と心が強く繋がっていることを普段以上に感じる。

微熱の原因が何であるか分からないため、あくまで自己分析だが、
改めて、精神的な影響も大きかったのではないかとも思う。
色々なことが重なり、不安が増幅し、よく眠れずにいたところ、熱が出た。
自律神経の乱れも感じていた。

自分なりの対処法として、本棚に放置されていた本を取り出してみた。
「自律神経を整える ぬり絵」

1、2年前に購入したまま置いてあった大人向けのぬり絵で、
少し前にたまたまその存在を思い出していたところだった。
夜中の2時過ぎに、娘の色鉛筆を並べて、色を塗ってみた。
一枚塗り上げて布団に入ったけれど、やっぱり、なかなか寝られなかった。

日中取り掛かっていると、ぬり絵が大好きな娘がやってみたいと言ってきた。
大人用なので絵柄が細かく、5歳の娘には少し難しいのではと思ったけれど、本人は塗ってみたいと言う。
そこで彼女が気に入った絵柄のページを切り取り渡したところ、黙々と塗り始めた。

とても静かに集中しているので、「何を考えながら塗ってるの?」と訊ねると
キョトンとして「何をって?」と聞き返してくる。
「塗ってる時に何か考えないの?」ともう一度訊いてみると、
「次にどこ塗ろうかなとか、何色にしようかなとか」と答えるので、
「お友達のこととか保育園のこととか考えたりしないの?」と訊くと、
「え?何で?しないよ」と、そんなことを考えるなんて不思議だと言わんばかりに答えるのだった。

私は塗りながら、ずっと、ぬり絵のことではない別のことを考えていた。
だからか、神経が昂って一向に眠くもならないし、気持ちも落ち着かないのだった。
娘の答えを聞いて、妙に納得した。
それじゃ自律神経が整うわけがないと。

数日後、たまたま付けたTV番組に、このぬり絵を監修した順天堂大学医学部の小林弘幸さんが出演していた。
自律神経には、呼吸が大きく関わっているとのこと。
呼吸を整えることが自律神経を整えることにも繋がると。
その呼吸法を、生活の中で意識するようにした。

この頃、仕事でお世話になっている方から一本の動画が送られてきた。
宗教家で哲学者の権威という人物が英語でスピーチをしている動画で、その内容は、
人生で何か問題があっても無くても、その問題に対して何か手立てがあっても無くても、
結局行き着くのは「じゃあナゼ心配するの?」ということなのだと。
つまり、心配したってしょうがない。

随分と気が楽になったのを覚えている。

そしてようやく、私や両親のかかりつけ医から言われた
「何も考えずに、ゆったりと」
という言葉と、その状態も受け容れられるようになっていった。

この間、別の要件で連絡をくれた数人の友人に微熱が続いている状況を伝えると、
免疫力を高めるために飲んでいるというドリンクを教えてくれたり、
頭痛のためにやっていることを教えてくれたり、
そこまで体調が悪くないのならとオンラインでの勉強会やミーティングに誘ってくれたり、
メールにそっと励ましのメッセージを添えてくれたりした。

電話をかけてきてくれた友人は、そんなに深刻な状況ではないことに安堵し、
自律神経を整えるためにぬり絵をしているけれどずっと考え事をしていたのだと話すと、
逆に肩凝りそう! と笑い飛ばしてくれた。
私も一緒に声を出して笑ったら、電話を切った後、急激に体調が良くなっているのが感じられた。

笑い合ってくれた友人は、その後自宅までヨガの本を届けてくれた。
もちろん本人には会っていないのだけれど、たくさんの食材も一緒に置いて行ってくれた心遣いに感嘆した。
そして、ぬり絵もヨガも呼吸が大事なのだった。

一方、普段からマイペースな夫は、過度に心配することはせず過保護にもせず、
いたって普段通りの距離感で接してくれたことで、私も平常を忘れずにいられたと思う。
そして娘は、持ち前のキャラクターと優しさで、事あるごとに私を和ませてくれた。

家族も友人も皆、決して大袈裟なこととしてではなく、さりげなく気にかけてくれて、
笑う時間を作ってくれて、そんなことのお陰で少しずつ気持ちが落ち着いていった。
そして眠れるようにもなっていた。

最近読んだ、写真家の幡野広志さんの著書「なんで僕に聞くんだろう。」には、
体調を崩すと心も崩す人が多いが、それは病気が原因ではなく、人間関係によることが多い、と書かれていた。
そして癌で余命宣告も受けている幡野さんによると、
人によって崩れてしまった心は、やはり人にしか治せないし癒せないのだ、と。

体調を崩した時もそうだけれど、非常時というのは、自分も他者も、その人の本質や人間性がよく見える。
今回の私の場合は、自分が思っていた以上に弱かったし、随分と弱っていたことが自分でもよく分かった。

その弱さを自分で認めて曝け出した時に、その弱みを周りの人がどう受け止めるか、
それによって、自分とその人との関係性や距離感が見えるし、その人の心根が見えるような気がする。

残念だけれど、こういう時に弱みにつけ込む人もいるし、強かさを見せつける人もいる。
でも、だからこそ、自分が大切にすべき人が誰なのかも、はっきり分かるのだ。

私は家族や友人、仕事仲間の存在に救われたし、
その人たちとのやり取りで心が癒えたのをはっきり感じることが出来た。
それはとても幸せなことだったと思う。

動画を送ってくれた仕事仲間は、こんな言葉も教えてくれた。
「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」

自分が苦しんでいるにもかかわらず、相手への思いやりを笑いで示すことが、真のユーモアだと。
そして、苦難を笑いに変えることが出来れば、身体的な健康を保つことも出来ると。

友人との電話での笑いは、確かに私にとっての薬だった。
今度は私が誰かに寄り添えたらと思う。

休み明けの生放送は、出演者全員がリモートで行った。
世の中みんなで外出を控えましょう、と言っている時に
仕事とは言え電車に乗って都内まで出て行くことは、決して偉くもないし威張れることでもなく、
私は罪悪感しかなかった。もちろん相変わらずリスクもある。
だから出来ることはすべきだと思っていたのだが、
2週間で技術スタッフがシステムを構築してくれたお陰で、全出演者リモート生放送が実現したのである。
番組チームだけ見ても、スタジオに出入りするのが通常5人のところ、2人にまで減らせたのだ。
私たちが安心して放送に臨むことが、聴いてくださる皆さんの安心にも繋がるはず。
こうした一つ一つの積み重ねが、今は特に大事だと思う。

微熱が出てから今日で丸3週間。
新型コロナウイルスの終息は未だ見えていないため油断は禁物で、引き続き慎重に冷静に行動したい。
そして微熱の原因が分からない以上、体調には今後も留意する必要がある。
見方感じ方は当然人によって違うし、自分でも状況次第で変わるかもしれない。
でも、私にとってこの3週間は間違いなく様々な気づきがあった。
それに少しだけ、自信がついたのも確かだ。