<勇気>をめぐるドラマセラピー
今更ながら、自分の無謀さに気づく・・・
<勇気>なんていう大きなテーマを
たった90分間のワークショップで扱おうとするなんて、
私はなんて無茶なことをするんだろう・・・!
でも、ワークショップ・フェスティバルは、ファシリテーターが
今、一番、やりたいワークショップをやる企画。
そんな訳で、やってみようとするのである。
なぜ、<勇気>なのか
幼い頃は、いつも勇気が出せずに、友だちの輪の中に自分から入っていけなかった。元々引っ込み思案なのに、父の転勤でイギリスの小学校に転校し、
最初クラスメートは仲良くなろうとしてくれたのに、英語が全然分からなくて、自分から逃げてしまった。怖がりで、勇気が出せないまま4年弱が過ぎ、日本に帰国した。
その後悔からか、中学高校はやりたいことにチャレンジしてみる!
ということをしていた。
でも、本当に進みたい道を周囲に反対された時は、
それ以上、抗う勇気はなかった。
年長者の言うことの方がきっと正しいのだろうと、
物分かりのいい子をした。
でも、やっぱり納得のいかなさが残って、大学卒業後は半ばヤケクソ。
東大卒からフリーター&劇団員という、周囲が驚く選択をした。
あれは、勇気とは、別ものだったなぁ
小さい頃は、生きているのが嫌で、生まれてきたことを恨んでいた。
どんなに自分が恵まれていたとしても、
当時の私は、建設的で幸せな未来なんて描けなかった。
だから、唯一、自分にとっての救いである演劇ができないなら、
生きている意味がない。
演劇しながら、貧乏の末、野垂れ死んでもいい!
みたいな捨て身の気持ち。
そういうのは<勇気>とは、少し違う気がするんだよなぁ
人生の大切な場面で、<勇気>を出せないと、
後々、変な風にこじれるってことなのか?
・・・
<勇気>についてのワークショップをすると言ったら、
フェスティバルの事務局も担当している大切な友人が、本を貸してくれました。
すごく面白い!
まだ読了していないけれど、今読んでいる章は、
<勇気>と<正直>の関係について。
そう、そうなんですよ!
いや、内田先生が書きたいこととずれるのかもしれないけど、
<勇気>の前に、まず「自分の正直な気持ちを自分が分かっている」
ということがあるのだと思う。
(本当はこうしたいなあ~)とか、
(本当はこう思ってるけど、言えないな~)とか。
それで、勇気を出せない位は、まだいいのだけど、
勇気が出せなかったために、自分の心に嘘をついて、
自分を騙すような選択をしてしまうと、
どんどん人間的ではなくなって、病む方向に行ってしまうのではないか。
先日、仲間内で本番に向けたトライアルをやってみた。
ひとりひとり、勇気の質感は違っていた。
色んな勇気のエピソードを聴いているだけでも、なんだか励まされた。
そんな風に、エンパワーされる時間を作りたいと思っています。
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