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あたたかさに囲まれて


今月は風の時代の準備期間が終わって、
本格的な風の時代そのものになる流れだそう。


本来誰もが受け取るべき居心地のいい
環境を得て、そこから自分の真の情熱のエンジンを燃やしていけるような、そんな環境整備が始まるのだろう。



余談だが「君たちはどう生きるか」
という宮崎駿さんの映画も今の時の流れを
象徴しているように思う。
本作をまだ観てはいないけど、
「どう生きるか」というのは
目の前に起こること、自分に起こることを
「どう捉えていくか」だと私は思ったりする。


その人の「捉え方」が
その人の選択につながり、
その人の現実になり、人生になっているからだ。


捉え方次第で、マイナスにも、プラスにも
自分のエネルギー、心情、行動すべてが
変わるからだ。


私はどんな風に生きたいか
私は何が悦びなのか


そういう大事な自分の根幹に向き合い
探求していく時間は、
置き去りにしていたかもしれない本来の自分
と出会わせてくれる。


単純に、自分の心が嬉しくなること
やりたいこと、好きなことを選択して行けばいいのだけど、
それよりも誰かのために動いたり、
場を丸くおさめるために動いたり、
やりたくないけど、やった方がいいと思って
自分の直感や好きに従うよりも、周囲のために犠牲的に動いてしてしまう癖を持つ人は多い。
(結果イライラしたり、不快感やストレスがつづく)


誰かの機嫌を持つのは終わり、
誰かに機嫌を取ってもらうのも終わり、
自分で自分の機嫌をみんなが取れる。


そういう事を思い出す期間、
それらを選択する事からの卒業が
より強く促される期間といっても
いいのかもしれない。


そういう風に自分の心に問いかけてみると
私が求めているのは、
どこまでも世界平和であった。


特に子供たちが伸び伸びと喜び、
どこに居ても笑って過ごせる
安心安全な世界を願っている。
親だけでなく、みんなで育てていくような
そんな意識世界である。


そして、私自身もまた
「人のあたたかさに囲まれていたい」
そんな事を願っていて、飢えていて驚いた。


お野菜がたくさん採れたからお裾分け
し合ったり、
お正月でもないけど、人が集まる家だったり、
笑顔と温もりに溢れている、そんな光景を
TVなりでみると、羨ましくなっていたな。


まさに私の幼少期にもそんな時があった。
親戚が集まって、鍋を囲んだり
お餅つきをしてお雑煮を食べたり、
そんな年末が一年の中でいちばん楽しみな時間だった。
それを母親に話すと
「年寄りみたいなことを言うなぁ」と笑われた。笑


でも祖母が他界すると、みんなが集まらなくなった。
その数年後に母も他界し、ますます母方の親戚とは縁が薄くなり、そういう時間は持たなくなった。


それがとても寂しかったのを覚えている。
心ゆるせる人たちと和気あいあいとした
雰囲気の中で過ごすのが私は好きなようだ。
今もそれを欲している。


いい距離感を求めながら、そういう居場所も
求めている。


だからか、
こう書きながら合点がいくことがあった。
最近やたらと「古民家カフェ」が好きなのだ。
行きたくて調べて行ったり、
見ているだけでも好きで眺めている。


古民家の醸し出すノスタルジックな温もり
そこの人達のあたたかい雰囲気や交流
丁寧で愛情のこもったカフェや食べ物


懐かしい感じがするのは
泣きそうになるのは、なんでだろう?
とずっと思っていた。



きっと自分の真に求めている心象風景を
再現しようとしていたんだろうし
失われつつあることに胸も痛めていたんだろう。





子供たちがどんな場所でも
安心安全であることが当たり前の世界
人のあたたかさに囲まれる世界



私はそんな世界線に生きたいし、
そういう世界を実現していきたい。


と改めて思った🫶


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