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ニーズのあじわい・感謝
感謝で1日を振り返る「感謝の日記」というのをつけている。
具体的に起きた出来事は何か(観察)
どんなニーズが満たされたか(ニーズ)
それを思い出した今、どんな気持ちがわいてきたか(感情)
というNVCのエッセンスに加えて、その出来事が起こるきっかけにつながる、自分がとった行動は何か
についても思いを巡らすことがポイントだ。
「何があったか」に目を向けると、つい、とりわけ目立つ出来事に意識が向いがちだけれど、実は、感謝は本当に小さなこと、もっというと事柄ですらないところに宿りうるものだということを、ここのところよく感じている。
目を閉じ、深呼吸する。呼吸のなかでくつろぐ。例えばそういった瞬間のなかに、感謝のあじわいがあり、それはどの一瞬においても存在しているものなのかもしれない(きっとそうなのだろう)。神聖なるエネルギーである私たちのことを想うと。
そのように気づかせてくれたのは、ニーズの質感について考えるきっかけをくれた読書会や、NVCの学びの場の存在があるからこそだなあと感じ、集う仲間のいること、気づきの共有のなかでの深まりに、改めて感謝の気持ちがわいてくる。
満たされたニーズ:気づき・祝福・ともにあること・超越
感謝のジャーナルのことは、縁あって、警察の方が手にする読み物の中でもご紹介をいただいた。そのなかでもご紹介いただいた、感謝のジャーナルについての解説動画を、ここに。
庭に見事なミモザの樹のあるお家があって、そのお花を見せていただいていたら、後になってその家の方が立派な枝をいくつか届けにきてくださった。なんてあたたかな心づかいだろう。
深夜にこの文章を書きながら、目の前の棚に飾られたそのミモザの花をうっとりと眺めている。
感謝はイベントではなく、もしかしたらそれは、私たちにとってとても自然な営みなのかもしれない。きっとそうなのだと思う。その感覚を忘れないでいること(Re-menbering)が、私たちをひとつにしてくれる。