【小暑】 鷹乃学習 (たかすなわちわざをなす)
御池通が好きだ。東山と嵐山の両方の緑に包まれた、風の通り抜ける空間。それから、御所を感じる丸太町通も。
京都に憧れ何度も通っているのに、その存在に気づいたのはごく最近のことだった。あの通りに立つと、私は不思議と「帰ってきた」気持ちになる。ただいま。そして、また必ず戻ってくるねと。
この季節の、迫り来る緑の存在感には、いつもドキドキしてしまう。鎌倉でそれを感じるのは、鶴岡八幡宮に続く段葛の、二の鳥居あたりに立つ時だ。思った以上に近くに、こんもりと茂る緑をみると、思わずそこに足を止めてずっと眺めていたくなる。まるでそこだけ立体感が違うようにすら思えて、浮かびあがるその風景は見ていて少しも飽きることがない。森を近くに感じる暮らし。だまって眺めている距離感。そして少し勇気をだして踏み込んでみたい気持ちと。
当たり前に目にするこの風景は、人の営みの反映であり、この風の通り道は、守られ、あるいは遮られて時代とともに流れを変える人の営みのしるしだ。
愛おしい風の流れを感じながら、この風景を、風の通り道を守るために、私が投じることができる一票とは何か。どのような営みの一部として自分はあることができるのか。そんなことを感じるのであった。
この旅はどこへ続くのか。大きなガラス窓の空間から、空を眺めて考えている。