自分取説1
小学5年生の頃だったか、1つ上の幼馴染みが、バレーボールのクラブのキャプテンだったことがキッカケで、勧誘され、体験に行って、入部することになった。
それまであまり縁が無かった体育会系の世界は、新鮮さと、楽しさもあったけど、不安も。
神経質そうな先生。
時々、やってくるバレー経験者の男子キャプテンのお父さんの威圧感。
ボールが当たれば、痛いし、水も飲ませてもらえない。
汗だくできつい。
失敗したら、太股を自分で叩いて鼓舞する先輩たち。
キャプテンとして怒られる幼馴染み。
そんな場面を見て、自己犠牲とか、頑張ることの美学を習得しながら、理不尽さも感じていた。
人より成長が早かった私は、同級生の中でも、身長が高かったこともあって、しだいに期待され始める。
ある日、廊下に貼り出された作文に目が留まる。
それは、同じクラブの同級生が書いたもので、活動のことや、練習で感じたことに触れていた。
その中に、私の名前が出てきて、いずれ私が、キャプテンになるだろうというような一文があって、血の気が引いた。
期待されたり、褒められたりすることは、嬉しいことでもあるけれど、私の場合は、それをプレッシャーに感じてしまう。
それから、練習から足が遠退いてしまった。
府に落ちない先輩や同級生たちから、電話がかかってきたり、自宅に押し掛けてくることもあった。
その頃は、理由なんて、説明出来るはずもなく、それでも、意を決して辞める旨を先生に伝えに行った。
間もなく、新しくできたバスケットのクラブの顧問の先生からの勧誘もあって、入部。
その時だって、体格的にも、期待されていることを感じただろうけど、そこでは、メンバー的にも、私が、キャプテンになることは無い確信を持てていたし、授業などで体験していたバスケットが好きだった。
プレッシャーに弱い。
今も、そういう所が残っていて、振り返れば、それが初めての場面だったように思う。
弟よりも、幸せにならなければ。
弟のことを、家族の期待を、1人で背負わなければ。
そんな思い込みの中で生きてきたことが、その根源にあったのかもしれないと、今は思う。
先日、テレビで、バスケット男子日本代表の番組があっていて「比江島スイッチ」が話題に。
母子家庭で育ち、数年前、お母様を亡くされたという比江島の背景を知って、それが原動力にもなっただろうし、同時に、陰のようなものを感じてしまった。
自分で自分のスイッチが、どこにあるのか、わからない。
その理由を探っていくと、陰に起因するように思う。
自信が無い。
自分を信じることが出来ない。
自己肯定感が低い。
中学時代のチームメイト7人の中で、高校でバスケを続けたのは、私だけだった。
その頃は、もうすっかり、身長も止まって、一般的にも、小柄な方になってしまったけれど、やっぱり、バスケが好きだった。
高校では、副キャプテンになった。
キャプテンとは異なるサポート的な役割のポジションは、心地よくて、自分にとっても、そういう存在が居てくれたら、頑張れるのかもしれないと感じられる経験になった気がする。
それぞれの人生の中で、1人で選択して、決定していくことは、避けて通れないし、それが出来れば、1人でも怖くないのかもしれない。
その目的や目標にもよるけれど、誰かと一緒に出来る場面であれば、その過程も大切にしたいし、むしろそこに、やりがいを感じる気がする。
見守って、応援してくれることは、期待されることと捉えつつも、ある程度のそれは、支えになることも知った。
そして、そこからまた1歩、ちょっと踏み込んで、並走してくれる誰かの存在が、私にとってのスイッチになることも。
これまでの友人たちの個展でも、感じてきたけれど、そういう場面では、みんなにとって、私は、副キャプテン、サポーター、並走者のような存在でありたいし、私が主になって何かをする時は、そういう存在が無ければ、難しい。
大雨。
不安は、不安な波長を呼び起こし、過去の記憶が甦る。
それは、誰かに興味を抱いたり、人と引き合う感覚と似ている気がする。
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