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取り戻すまで待ってくれてた?

私が1才になる頃から結婚する22才まで
長崎の実家で一緒に暮らしてきた
母方の祖母が亡くなりました。
98才でした。

コロナが九州でも
チラホラ出てきた2年前の春に
入院先で
ガラス越しに面会したのが
私が会えた最後です。

その後、入退院したり、ホームを点々と。

私にとっての、祖母の存在は
「22+22=44」を読んで下さった方なら
その輪郭を感じて頂けるかもしれません。

祖母に限らず、自分も含め
誰が、いつ、この世を去るかなんて
分からないことだし
この2年で更に
その思いは強くなり
覚悟もしていたように思います。

なので
思っていたより冷静な自分が居て
これが
目の前の現実を受け止められている状態なのか?も
正直、わからないくらい、淡々としてる。

母の手前、私がバランスを取ろうと
気が張ってるのか?
あとから、ガタっとくるのか?
そんなことも分からない。

でも、立ち止まって、振り返ると
この1年で
私が自分と過去と向き合えて
人生の中で、やっておきたかったことだった
「22+22=44」を完成・販売でき
本当の意味での「シアワセ」を感じたり
受け止められるようになって
私が私らしく
本来の自分を取り戻すまでを
祖母が見届けてくれた気がしてるのです。

そういったタイミングにも驚かされる。

そしてやっぱり
そこに至るまでの友人や仲間の存在
新しい出会いと
この1年の濃度の濃い月日が
私の支えになっています。

涙が溢れるのは、もちろん
祖母との思い出の光景が浮かぶ時もだけれど
そうした、今、見守ってくれている存在を感じて嬉しい時でした。

母には、仕事があるので
割と早い段階で、日常に戻らないといけないし
でも、それが幸いなことだとも感じています。
母にとっても。
私にとっても。

しばらくは
母のこと
これからのことを
考えたり優先しながらも
確かに私の中にある性分とか
選択の仕方とか
祖母の面影を感じつつ
自分で考え
自分で判断して
歩いていきたいと思っています。

現実的な問題も
やっぱり出てくるし
生き方を確かめる時。

でも、やっぱり
私は "makijaku" として
製作室を
OPENしてた方がいいに決まってる。
誰が何と言おうと。

今は、そう思っています。

そして、こういうことも
書ける間は、私の言葉で残していきます。

これからも。

2022/7/7/thu/makijaku
天秤座の半月/七夕

二人が会えますように☆

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