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47
47才になりました。
連れに「素数だね」と言われて
あ、そうだなぁと思って
なんだか、ちょっとやそっとじゃ折れない
強さみたいなものを感じました。
本当は、ぐねぐねというか
だいぶ柔軟になったはずなんです。
この間「コロナの3年くらいの記憶があまり無い」と連れが言うので
自分は、どうだろうと、2020年くらいから、振り返ってみたんです。
それは、それは、激動の日々で、とてもとても濃くて。
記憶も思い出も沢山あり過ぎました。
でも、そこから、もうちょっと昔にさかのぼると
もう、自分が、何歳の時に、どんなことがあったか?
なんて、分からないんです。
子どもたちが、小学生だったとか、そういう基準でしか思い出せない。
コロナ前頃から、自分の中で変わったのは
自分軸を意識できるようになったこと。
そして、有難い出会いや、キッカケやチャンスを一つ一つ拾い上げて、一つ一つ蓄えて、繋げてきたこと。
自分が、より良い状態で、物事に向き合えるように、自分で自分のペースを知って、掴むことができたこと。
大切にしたいことを優先できるようにも、なったと思います。
その理由は、これまで見守ってきてくれた方なら、もう、お分かりのはず。
試行錯誤しながらも、一喜一憂してでも、今、とてもいい状態で、生きてる気がしていて、そう言えることって、シアワセなことだよなぁって。
シアワセになること、シアワセだと認めることを
怖がっていた頃を思うと、我ながら
よかったね、よしよしと、したくなるんです。
ここまで辿り着けて、ほんとに良かったと。
47才になったことより、来年は
年女かぁというところに意識を持っていかれるのは
どうしてなんでしょう?
なんだかちょっと、これからの1年を
ないがしろにしてしまった気がして
一瞬、申し訳ない気持ちにもなったりしました。
この先の1年も、やってみたいこと
約束していることが、待っていて
とても楽しみなんです。
ないがしろにするはずない。
これまでに出会えた全ての人への
感謝の気持ちを忘れず
必ずやってくる、最後の日まで
私は、私の道を歩きながら
その道中で、重なる人たちと
対話したり、一緒に歩いたり
その時、その瞬間にしか、あり得ない奇跡を
大切にしていきたいなぁと思っています。
たくさんの思い出と記憶を抱えていきたい。
こんな一個人の想いが、たくさんの人に
届かなくても、理解されなくても。
共感してくれる、信じてくれてる
手の届く人たちを大切にしたい。
あぁ、やっぱり、陰も持ち続けるし
それでこそ、私なんだ。