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プロ棋士について知っていたこと(3年前まで)

さて、実際のプロ棋士の観戦記を読む様になった私ですが、当時顔と名前が一致していたプロ棋士は恥ずかしながら2人だけでした。

1人目は、梅沢由香里先生。

たぶん、ヒカ碁世代は全員知っているみんな大好き由香里先生!こんなに綺麗な人がプロ棋士なんだ…!と子供心に衝撃を受けました。

2人目は、井山裕太先生。

えぇ、日本囲碁界で忘れてはいけないあのお方です。でも、初めて井山先生を知ったのは、たまたま見ていた若手棋士が13路か9路盤で戦うという特番みたいなものでした。

まだ10代半ばだったと思いますが、「天才!日本の囲碁界を背負う逸材」と審判役の方が紹介されていたのを覚えています。確かに、あまり19路以外打った事ないという様なインタビューの後、他の人をボコボコにしていました。

あと、「裕太」というお名前が全く同じ友達がいたので勝手に親近感が湧き、以来「裕太君」がTVに出演する時は観る様になりました。

ですから、『プロフェッショナル』で、19歳の時に初めて「名人」に挑戦したけれど、あと一歩届かなくて涙が溢れ、自分の信じた手を打ち、翌年奪取したという場面は、感動して涙が出ましたし、七冠達成の時も速報のニュースを見て「裕太君がとんでもない事したみたい!やっぱりすごい人だ!」と家族にドヤ顔で報告していました。

ただ「裕太君」以外の棋士について調べたり、知りたいとはまだ思っていませんでした。

そう、棋士沼に入る前だったのです。

それでも、観戦記を読んでいたので、名前だけは覚えた棋士が3人いました。

瀬戸大樹先生

結城聡先生

張栩先生

瀬戸先生は、とにかく「好青年!爽やか!関西のホープ!」という観戦記者さん達からの絶対的信頼感が伝わってきて、間違いなく強くて良い人なんだろうなと思っていました。

結城先生は、とにかく強い人。名前からして絶対強い!読みの力が半端じゃない人。たぶん1番名前を見ていたと思います。

そして、張栩先生。「絶対王者。オーラが尋常じゃない。黒スーツ。空気が違う。勝負は既についていた」などなど。ただ、当時の私には名前が読めなかった…

外国出身の方で塔矢名人位の年齢で、高永夏みたいな強さの人なのかな?と思っていました。

すみません。張栩先生その時まだ20代後半か30代前半だったのに…

そうして観戦記を読んだり、たまにNHK杯を観たりして緩々と囲碁と付き合っていたのですが、進学していくと段々そうした時間を取る事も難しくなっていきました。

更に就職してからの数年は、日々何とか乗り越えていかなければと余裕がなく、ゆっくり新聞も読めず、ようやく慣れてくると興味があるものに、とりあえず挑戦したり、友人達と遊ぶ時間が楽しく囲碁とは疎遠になっていきました。

3年前まで、私はプロ棋士の名前を5人しか知りませんでした。

しかし、3年前、突然棋士沼に落ちてしまいました。