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65. 癒しのゴーシュ

 宮沢賢治作「セロ弾きのゴーシュ」の朗読イベントに参加して欲しいとの依頼を受けた。語りと演奏もして欲しいとのことだ。ぼくの場合、宮沢賢治という名前についしり込みしてしまう。なにしろファンが多いので、ウルサガタも多数。
 かつて作曲家の武満徹がプロデュースしていた「MUSIC TODAY」というイベントがあって、1991年は、高橋悠治を特集。ぼくはそこで宮沢賢治を朗読した。
 場所は銀座に移った西武劇場(渋谷パルコから銀座に移転その後のセゾン劇場)だった。その頃、一年に一回ぐらい、高橋悠治の作品を歌っていたので、この特集にも参加することになった。ぼくの朧げな記憶によれば、マッキントッシュのSE/30を使って、アジアの楽器群や声をサンプリングしたもので、音楽を構成していた時期じゃないかと思う。
高橋悠治の作品は、宮沢賢治の「眼にて云ふ」の朗読に音楽を配したものだったはずだ。「はずだ」というのは、この年代当たりの初期コンピューター音楽のことが、ウェブで検索してもほぼ出てこないのだ。どうも抜け落ちているだけでなく、検証されていないのではないか。高橋悠治は、サンプリングしたデータが全部消失してしまったのをきっかけに、このようなコンピューター音楽をしなくなってしまった。

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう

「眼にて云ふ」は、宮沢賢治が病気で倒れた時の詩で、何年か前に倒れて病床生活をしていた高橋悠治なので、この詩に自分を重ねるようにみていたのではないかと思う。病気で倒れている人の気分で朗読するなんてことはなかなか難しい。やけにハラからでしまう声のコントロールをどこに置いたらいいのか。案の定、終演後、朗読が元気すぎたという評があった。
 そんなわけで「セロ弾きのゴーシュ」の朗読、引き受けていいものか、悩むのである。そこで、ふと浮かんだのは、友人のチェロ弾きの四家卯大のCDアルバム『インドのとらがり』である。このタイトルは、「セロ弾きのゴーシュ」の中に出てくる曲名である。このアルバムには、伊福部昭が手がけた人形アニメの「セロ弾きのゴーシュ」用に作った音楽も演奏されている。四家くんと一緒ならなにかできるんじゃないかと思い、依頼主の磯田さんに提案したのだが、どうももう少しひねりが欲しかったようで、チェロ弾きは登場させずに、シンギングリンという癒しのセラピーのチームにコラボレーションを依頼した。朗読中、ただならぬ振動につつまれるという計画らしい。
これはまた大変なことになった。朗読しながら寝てしまうなんてことがあるかも知れぬ。

2020年1月

covid19によるpandemicがはじまるまえのこと。
この時の企画制作した方が自己破産を宣告し、ギャラは未払いになった。
おお、大変!

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