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仕事ってなんだ

20代半ばって、とても不安定な時期だと思う。
社会人になって仕事に慣れきてこのままでいいのかと思ったり、結婚する友だちが増えてきてなんだか焦ったり、漠然と存在する30代への不安に駆られたり。
「みんな通ってきた道だから」と言われても、知ってるのと体感してるのとでは全然意味が違うものだし、厳密に言えば不安定になる要因は人それぞれで、同じ形はひとつもないはずだ。

僕の話をさせてもらうと、26歳の僕自身もとても不安定で、悩みや迷いもたくさんある。それは上述したことに該当するものもあれば、もっと混沌としていてうまく言語化できないことだってある。

この場を使ってその中のひとつ『仕事』について整理したいと思う。

以下のような問いをもとに、仕事について思うところを言語化していく。

①『仕事』をどう捉えているか
②いま従事している『仕事』をどう思うか
③この先の『仕事』をどうしたいか

①『仕事』をどう捉えているか
仕事を辞書で調べてみると定義の広さに驚く。全部正しいものだがおそらく、『生計を立てるために行う事柄』という意味合いが強い。
納得できるが、僕の中では少し違う。
仕事とは『自分の個性や才能と意思のバランスを取って社会に価値を産むこと』だと思っている。
生計を立てるだけなら、なるべく楽で、簡単で、給与が高いところを選べばいい。(どんな仕事も楽ではないと思うが)
だけど、僕たち人間には心があって、その仕事を効率だけでは選べない。
どういうことをしたいのか、どんな風に思われたいのか、どんな人生を歩みたいのか。など理屈ではない部分も大きいのが仕事だと思う。そのうえ僕たちにはそれぞれ得手不得手があり、それは必ずしも本人の意思によって決められるわけではないため、残酷なことではあるが、自分と社会と向き合って折り合いをつける必要があるのではないかと思う。
だからバカにせず、ゆっくりと深く自分と対話し、模索する必要があるのではないだろうか。



②いま従事している『仕事』をどう思うか
僕の仕事は、広告代理店でコピーライターとして広告をつくることだ。なぜこの仕事を選んだのか経緯を遡るとともにその選択をいまどう思うかを記してみる。

僕が就職についてリアルに考えたのは、高校3年生で大学進学を考えるタイミングだったと思う。その時は自分のことを深く理解できていなかったし、周りにどう思われたいかを優先していたと思う。だから、お金がたくさんもらえて、華やかで羨ましがられるような仕事のイメージでマスコミ系、テレビ局で働きたいと漠然と考えていた。そのためマスコミやメディアを学べる社会学部を選択した。(いま思い返すと自分の性には合っていたのだと思う)大学ではなんとなく勉強をしていたが、奇跡的に僕の中で一番衝撃を受けた学びに出会った。それが『言葉』だった。
言葉の仕組みや、言葉の価値を知り、それがお金になることにとても驚いた。同時に『言葉で生きていきたい』と思った。とはいえ、どうやって言葉で稼ぐのかを知らないままダラダラと過ごしていた。
そんな中、大学3年で出会ったのが、広告とコピーライターだった。講師が現役のコピーライターで、業界では有名な方で仕事の経歴も華やかなものだった。見た目もカッコ良かった。(靴にトゲトゲビジューがついていたのを覚えている)その人を見てこんな大人になりたいなと思った。自由で繊細で力強い人に。
そのような流れだったので、就職において広告を志望するのは必然的だったし、コピーライターになることも決めていた。
大手の総合広告代理店には落ちてしまったので、web広告をメインに扱う今の会社に入社した。
当然すぐにクリエイティブ部でコピーライターをするつもりだった。しかし僕の希望していたクリエイティブ部はできて数ヶ月のため新卒はまだ入れないとのことだった。(入社前に聞いてた話と違ったし、ちゃんと部署の説明をしなかった人事には呆れた)
やりたいことが明確にあるのに、それができないストレスはとても大きかった。(しかも配属先は激務だった)
自分が何をしているのかわからなかったし、どうしてやりたいことができないのかわからなかった。
僕は会社も社会も知らなかったのだと思う。
これは僕だけではないはずで、ほとんどみんな初めてリアルに社会と関わるのだから、わかるはずがないのだ。
おかげで、このときの僕には不満のエネルギーが溢れていて、それを発散するかのようにデザインの専門学校に通ったり、ほぼ毎週講座を受けたりしていた。そういう足掻きと最終手段「異動できないならヤメマス」が認められて、僕はようやくコピーライターになった。
「コピーライターやりなよ」と上司に言われたその瞬間、ようやく仕事として始まった音がしたのを思いだす。止まっていた時計の針がガコンと動いた音だった。
最初の頃はとにかく訳もわからないまま広告クリエイティブに向き合った。コンテの書き方も提案の仕方も全然わからず悔しい経験もした。だけど、経験豊富な上司に「なんで異動したばかりでコピー書けるの?」と言われたことで、自分の選択は間違っていなかったと確信できたし、その才能があると信じるに足る一言だった。
しかし、ここからがとても辛い日々だった。クリエイティブをつくる人間は自分の内からアイデアを曝け出す必要がある。それはとても怖いことで、しかも否定されるとダメージが大きいのだ。(だいたい否定されて無駄になるのでボロクソになる)
広告クリエイティブを理解していく過程は、僕という人間を知っていく過程でもあったのだと思う。僕が創り出すものを理解するには、僕は僕を知らなさすぎた。
そして、僕は僕のことを否定し続けていたことに気づき、それを受け入れられるようになるまで3年かかった。(いまでも自己否定は多く自尊感情はかなり低い)
受け入れられるようになるまでに色々ときっかけがあったのだが、それはまた別の機会に書ければと思う。
そして、3年かけて僕を理解した上で気付いたこと、
それは『僕は広告が好きではない。』ということである。

ここまで記した文章はなんだったんだと思うかもしれない。
でも、この過去を通してこそわかることがある。僕は誰かにはなれなくて、僕は僕なのだということだ。(こんなあたりまえを受け入れられないの人もいるのだ。)
憧れた大学の講師コピーライターと僕は当然違う人間で、感じることだってもちろん違う。
僕は『言葉が好き』なのだ。広告は自分の好きなことを体現する手段として存在する仕事の一つであり、僕は広告の仕事とうまく折り合いをつけられない。



③この先の『仕事』をどうしたいか
ようやくここまで辿り着いた。
この先の仕事について、現時点では僕の中でまだ整理できていない。先が見えない不安があるが、僕は僕のやりたいことを信じたいと思う。
言葉が好きだというところはきっと変わらないし、その自分を今では信じてあげられる。
次に選んだ仕事が結果的に、また違ったということもあると思う。でもそれは生きる上で間違いではないはずだ。自分と社会の満足できる折り合いを一発で見つけられるほうが珍しいだろう。そうやって調整していけばいい。
自分のできることとやりたいこと、社会に求められること、その折り合いがつくところを見つけるのは難しいと思う。
けど意思を持って生きていれば、そのうちいい所に落ち着く。
そう言い聞かせて、やりたい仕事を探してみる。何をしたっていい。(人に迷惑は掛けてはいけない)

自分の人生を一生懸命、生きればいいのだ。

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