誰かの幸せを願える幸せ

夏風邪で体調を崩していた娘が、2日振りに保育園へ登園。体調を崩した日の保育園からの連絡ノートには、娘がクラスメイトの男の子から誘われ、手を繋いで楽しそうにしていた、と書いてあった。うちの娘と手をつなぎたかった男の子がいることが嬉しくて、そして誘いに応じて手をつなぎ、楽しくなった娘の姿が幸せそうで。文字だけの連絡なのに、ありありと心に情景が浮かぶ。

仕事の合間にその連絡帳を見返しながら、果たして久しぶりに登園した娘は楽しくやっているだろうかと想像した。想像の中の娘は久しぶりの園をとても楽しんで、そして先日手を繋いだ男の子からも歓迎されてちょっと照れくさそうにしている。それはただの想像なのだけど、それでも娘が存分に楽しんでいるように思えて、それだけで、私はいたく幸せな気持ちになった。

学生だった頃、好きな人がいた。その人はピアニストの卵で、とてもステキなピアノを弾いた。
どういう訳か、その彼だけは、付き合いたいとか私だけを見てほしいとか、そんな気持ちに囚われることなく好きだった。どうか彼が願うように、将来ピアノで生計を立てていけるように、いつかオーケストラと競演ができるように、彼と会うたびにそんなことを考えた。

思うに大抵の恋というのはお互いの思いが同じ重さでありさえすれば素敵なのに、いざそのバランスが崩れた途端に苦くなる。その苦さに不安になり、苦しくなり、時には耐えられずに相手を責めたり、投げ出したり。恋をしたがばかりに感情は大きくかき乱される。
今の彼とは思いが実り、籍を入れて晴れて夫婦になった訳なのだけど、それでも時折心に不安がよぎる。バツイチの私にとって結婚とはあまりに頼りない約束で、だから時折湧き上がる不安を払拭するように、好きだ、と口に出し、彼からme tooと返ってくるかを確かめる。
口ではどうとだって、なんとだって言える。そんなことはずいぶん前から知っているにも関わらず。

一方で、私が子に、そしてかつてピアニストの卵の彼に抱いた思いは決してかき乱されない。今日も楽しくいて欲しい、夢を叶えて欲しいと願うだけ。これ以上に安らかな幸せを、ほかに知らない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?