28/100 江國香織著「泣く大人」/ 幸福な食べ物と、それで構成される骨
毎週金曜日は、会社のオンライン交流イベント。今週のお題はコロナ禍で身につけたスキル、で、グループにわかれてフリートークをした。
自分自身のことで私が思い当たったのは、スキル、というよりは情報で、それも家の近隣のテイクアウト/デリバリーできる店に関することだ。ChompyやUber Eatsでデリバリーできるレストランは何十も試し、その他代々木上原方面まで足を伸ばして、名店のテイクアウトを幾度となく買いに行った。
コロナ中、楽しみにしていた旅行を2回もキャンセルしたりと残念なことが多かった。それでも、「食べ物」に関して言えば、色々な素敵なお店を知るキッカケになって、有意義な時間が過ごせた、そういえなくもない。
1日の結構な時間を「何を食べるか」を考えることに費やしている。特に私と同様に「食べる」ことが好きな彼と一緒に付き合ってからは加速した。「イタリアン 中目黒」なんてざっくりとした単語で検索しては、片っ端から食べログを開いてインスタをみて、Googleレビューを読んで。食べることはもちろん好きなのだけど、それと同じくらい、どのお店で何を食べるか、について考えるのも好きだ。そして探し当てたお店に行って、食べるだけじゃなく、料理の感想を彼と言い合うのも好き。
今日読んだ江國香織の「泣く大人」にこんな一節があった。
途中でバターのおかわりをもらう。ふいにカロリーが頭をよぎることも、ないとは言えない。でも、私はすぐに、その軟弱な考えをふり払う。こんなに贅沢な、こんなに幸福なバターは、たぶん私の体内で、骨をつややかに輝かせる働きをするだろう、と考えたりする。
今年祖母が、三年前に父が、それぞれ逝ってしまったので、最近二度火葬場に行ったのだけれど、いつか私が死んだら、きっと火葬場の人が骨を見るなり驚くだろう。丈夫で、白く、つやつやしているはずだから。
江國香織著「泣く大人」
幸福な食べ物が骨を形成して、そして、それは骨をつややかに輝かせて。食べ物が体を形作っていることは間違いなくて、そしてきっと幸福な食事をすることで、私の骨も丈夫で、白く、つやつやになる。美味しい食事を食べるたびにそんな活動が体内で育まれているのだとしたら、食べる、てなんて素敵なことなんだろう。
江國香織とシンクロしていたい、そんな心持ち。