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「光のお父さん」/わかる人にだけ、わかればいい。

先週は今年一番の修羅場だった。昼の仕事もライターの仕事もコルクラボのタスクも溜めてしまって、何から手をつけてよいのか八方塞がりの心持ちだった。ところが現実逃避気味にみたNetflixで配信中の「光のお父さん」というドラマが素晴らしかった。

すべてのタスクを放り出して一気に最後までみたら、気分がすっかり切り替わった。その後、我ながらいいペースで、諸々のタスクを終わらせることができた。コンテンツの力ってすごい。

「光のお父さん」は観る人を少々選ぶ作品だ。普段言葉を交わすことがなくなった父親をネットゲームに誘い、そこで仲良くなって、本音を聞き出そう、というのが物語のはじまりだ。
ネットゲームに慣れ親しんでいない人は、何故ゲームに誘うことが本音を聞き出すことに繋がるのか、最初は特に、しっくりこないのではないかと思う。

一方、別のネットゲームに何年も夢中になっていた私にとって、この主人公の思いは、手に取るように分かる。ボス戦の前のキリキリと胃が痛む緊張感や、それを仲間と倒した時の、体の芯から湧き上がるような達成感。そんな感情を共にするからこそ、ゲーム仲間とは、時には家族や恋人以上の、強い絆で結ばれる。ゲームとはいえ、生死をかけて戦いに挑む仲間、なのだ。だから、普段誰にも言えなかった話がゲームの中だと言える。
そんなネットゲーム経験者なら「分かる」というシーンが、「光のお父さん」にはちりばめられていた。それもあって、最初から最後まで、夢中になってみた。

もともと「光のお父さん」はネットゲーム未経験者にも分かるように、という思いで作られたという。ただ、経験者だからこそ分かる、くすっと笑えるようなシーンも多くあり、そしてそういうシーンにこそ、経験者の自分が魅力を感じたことに、色々と考えさせられた。

お金をいただいて「書く」という仕事をしていると、せっかくだから、あの人にもこの人にも、と、伝えたい相手を欲張ってしまう。専門用語を使わないように、というのは鉄則だし、一般的じゃない話題は、そもそもテーマとしてとりあげづらい。

だけど「深く伝わること」というのは、いつもどこか、この「光のお父さん」のような、わかる人にだけわかる、そんな要素を含んでいるのかもしれない。一般化されていないからこそ、希少なのだ。ゲームの中の人に救われたり、ゲームを通じてリアルを頑張ろうと思ったり、誰もがする経験ではないからこそ、その経験が特別なものとして、記憶に残る。そして一般的じゃないことだからこそ、再現される機会が少なくて、ひとたびそれが再現されると、その分心の奥深くに、突き刺さるのだ。


わかる人にだけ、分かればいい。
伝わる人にだけ、伝わればいい。

時にはそんな割り切りも悪くない。そんな気持ちにさせられた、とにかく素晴らしいドラマだった。

いつかこんな作品を、自分も書いてみたい。心から、そう思う。

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