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古(故)きを訪(温)ねて


長年、親との精神的な関わりを避けてきたところがあって
実家に帰らないとかケンカをするとかあからさまな感じではないけど、
自分の内面を見せないように過ごしてきた。
逆に親のこともちゃんと見てなかったと思う。

会わない時間が長くなるけど関係は切れないので
離れている間、事実かどうかわからない自分の妄想やイメージで昔の思い出は埋め尽くされていた。

遠距離で交際をしたことがある人はわかると思うけど
長い間会わないでいると、好きかどうかわからなくなる、みたいな感じと似てるかな。

あとは、同窓会の当日に会場に着くまでなーんかモヤっとした気持ちがあるけど
いざ行ってみると実際はそんなに悪くなかった、
っていうときのあのモヤモヤにも似てる。
(終始ワクワクしかない!って人もいるだろうけど)


父親が難病にかかり老老介護になっていること、
私は私で、自分にかかっているメンタルブロック(思い込みみたいなもの)を
なんとかしたい終盤に差し掛かってるので、
この1年ほどで急激に両親とのコミュニケーションが密になった。

突然病院に運ばれて自宅介護が難しくなり、
すんなり介護施設に入れる病状でもないため、この半年ほどで病院をいくつか移ったり
医師に家族が呼ばれて今後の説明を受けることもあった。

自然と帰省の回数も増え、今までは夫と2人で帰省することが多かったけど
単独で帰省して母と過ごす時間が多かった。
今までは意図的に夫や妹など、誰か他の人を交えて親と接するようにしていたけど、そんなことも言っていられない状況になった。



「他人は鏡」という話を聞いたことがあるけど、
関係性が近い相手は、より濃く自分を映し出す気がする。

「お金を受け取るブロック」というものは、
母から受け継いだんだろうと思った。

「お金がない」「お金がもったいない」
そんなフレーズを昔からたくさん耳にしてきた。


お金がないと言う割に、母はお金を手にするのを避けているようにも思えた。
また、お金がないと言う割に、安いものだけどいろんなものを買い揃えていて、
ケチというのともまた違っていた。

完璧主義で何でもきっちりやるし、他人に文句を言ったり揉めたりもないので
周りからは精神的にできた人でお金もあるんだろうと思われることがあり、
それもまた母親は全力で否定をしていた。
お金を持っていると思われたら嫌われるとか、不幸な部分に共感がもらえなくなるとか思っているのだろう。


けっきょく「お金がない」と言っているほうが心が落ち着くというか、
不安でいることに安心を覚えているんだろうと思った。


あらためてこの度、母の家事スキルや、父の介護にあたっての細かい作業スキルを見ると、
娘が言うのも何だけど、なかなか能力が高いと思った。
今までは「親」「主婦」としてしか見ていなかったけど
この人に何か仕事を振ることを考えると、かなり処理能力はあると思う。

今は年齢が年齢なので、強く勧めはしないけど、
自分のスキルを適正に評価して世に出ていたら
この力はまあまあの額のお金になっていたのかもしれない。
実際には、最低賃金でパートでも構わない、みたいな感じだった。
なんともったいない。



自分を過小評価して欠乏感で埋め尽くすのはもったいないことだなぁ、
と思うと同時に、自分に「アンタ、そういうことやで」と言い聞かせた。


私も同じ「負の魔法」がかかっていたので、
不幸アピールや自虐が多かったと思う。
今はちょっとマシになったし、気をつけるようにしているけど。

洗脳というか、昔は母から「自信を持たないで」って言われていた。
実際には反面教師というか反動で、私は子供の頃から割と毅然とした態度を取る子で
クラスや学校の代表で何かをすることが多かった。
そのことで母が娘と同一キャラだと見られることを恐れて
余計に制御しにかかっていたのだと思う。

受け取り拒否なマインドは母のものであって
私のものではないから取り違えてはいけないし、
実際には根拠のない迷信なのだから
もっと自分を信じてぶっちぎっていきたい。
そもそも別の人間だから、個性も違うしね。

今回は「お互いの性格の違い」を母と受け入れ合えたような気がしている。


また、親とのこととは少しズレるけど、
自分がこんなに逃げるようにして地元を出る必要があったのか?
心のわだかまりがなんとかなっていたら、ここで生きていく選択肢はあったのか?
そんなことも検証できた。


後悔はしていないけど、首都圏や関西での生活を経て
「やっぱり地元が合ってると感じた」とUターンする体験談を聞くことがあったので、
自分はどうなのだろう、とふと考えることがあった。

いざ実家を出て大学進学→就職→結婚と進んでしまうと
こんなに親との接点が少ないまま年月が経ってしまうのかと、
自分で望んだことではあったけど
これでよかったのかなぁという気持ちは数ミリくらいあった。


結果は「やっぱりここは無理」だった。

これは県民性というよりこのエリアの特徴なのかもしれないけど、
「村社会」な感じがすごい。

両隣、向かい、裏、など近接している家の様子は
だいたい監視されていて、
あそこの家に車が停まってるけど長女の彼氏じゃないのかとか、
車が前と変わってるけど例の彼氏が車を買い替えたのかそもそも彼氏が交代したのか、とか、
そんなようなことを言われる状態だということをあらためて思い出した。
帰宅時間まで把握される始末である。

ある意味、母が不幸ぶるのも嫉妬を避けるためだったりするのだろう。
娘が慶應大学に行ったなんてとんでもないけど、隠す前に広がってしまうので
私は勉強スキル以外は最低な娘、みたいによくディスられていた。


相変わらずそんな雰囲気が続いているのを感じて、
大袈裟ではあるけど
「やっぱこの町はアタシを抱えきれなかったね」
と思った。

やっぱり人はその時その時でちょうどよい選択をしている。



長くなってきたのでこのへんで締めたいと思うけど
この度、頻繁に帰省し、母と膝を突き合わせて何度も話したことにより、
下記のようなことが確認できて自分のことも見直せたな〜、
というのが収穫だった。

  • 母の若い頃から今までを客観的に見る

  • 母を矯正しようとせず、選択を尊重する

  • 母と私は個性が異なり、別人格である(当たり前だけど大事な認識)

  • 母は素晴らしく、自分もまた素晴らしい

  • 自分のものではない感情を自分のものと取り違えない、そのことで広がる可能性がある


今回のこと以外にも、私は生まれて記憶がある時以降の
成育歴をまとめたこともあり、これもかなり良い振り返りになった。

嫌なことや辛かったことも書くことになるので、
一旦は気持ちが落ちたりもするんだけど
その気持ちすらもなんとかなって余る効能はあると思う。

ふだん、人は自分のルーツを振り返るということをなかなかしないし
人との間でも話題にすることがあまりないだろうけど、
自分がどのように作られてきたかを振り返ることは
アラフォー以降、特にお勧めしたい。



では。


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