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3.11に想いを馳せる

2011.3.11

忘れもしない日

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この日は祖父母が、仙台に住んでいる従兄弟の幼稚園の卒園のお祝いに向かう日だった。
飛行機で羽田空港に降り立ったとき、ちょうど地震が起きたのだ。
はじめは飛行機が着陸してすぐで、飛行機が揺れているのだと思ったそうだが、地震のアナウンスがすぐに入ったそうだ。
もちろん仙台に行くことはできず、羽田空港で帰宅困難者となった祖父母。
すぐさま次の日の帰りの飛行機のチケットを買うために列に並んだらしい。

幸いにも、東京に住んでいた知り合いの家に泊めてもらうことが可能となり、ゆっくり身体を休めることができたそうだ。
そして次の日の飛行機の便で家に帰ってきた。
帰ってきた直後に夕食を食べながら私たち家族に、事細かに羽田空港での出来事を話してくれたことを今でもよく覚えている。

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ちょうど同じ日のこと。
単身赴任している父が、たまたま青森で仕事をしていた。
地震の最中に母に電話をした時、ちょうど母は買い物中で、「ちょっとごめん、今レジ!」と言ってすぐ電話を切ってしまったとのこと。
とりあえず生存確認だけできて良かったと話していた。
幸いにも海に近いところではなかったため、津波の心配はなかった。
地震の直後は動揺して泣き叫ぶ人がいるなど、状況は悲惨だったらしい。
夕食を求めて公民館に訪れたときに人の温かさを感じたと話していた。

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そして仙台に住んでいる従兄弟たち。
マンションに住んでいるので家がなくなることはなかったが、家の食器は全部割れ、電気もつかない生活が続いたとのこと。
本当に地震が怖くてたまらなかったと話していた。
従兄弟たちが震災について多くを語ることはないのは、この日の経験が心に大きな影響を及ぼしているからなのかもしれない。

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私の身近な人たちが東日本大震災を経験している。

当時中学2年生だった私も社会人になった。
学校から家に帰ってテレビで観た、津波が町に押し寄せて飲み込んでいく衝撃的な映像はこれからの人生でも忘れることはない。

この10年はあっという間だったが、ここからが新たなスタート。


忘れてはいけない。
風化させてはいけない。

未来にこの経験を語り継いでいくことが、震災を知っている者にできることである。


亡くなった方への追悼の意を表し、生かされていることに感謝しながら、「3.11」をこれからも忘れずに過ごしていく。


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