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やさしさについて(びろうな話です)

「強くなければ生きていけない。優しくなければ、生きていく資格がない」。
そんな名台詞を、昔、聞いたことがある。中学生の頃だったと思う。
カッコいい言葉だと思った。
僕は強くないので、せめて優しくなりたい、と思った。


それから数年たち、大学生になった頃。
僕は「優しさ」ってものに、ちょっと屈折した感情を持つようになっていた。
先に言っておくが、多分に、自分がもてないが故のヒガミである。
その頃、僕の友だちに、さしてイケメンでもないのに妙にもてるヤツがいた。
彼がもてる理由というのが、「優しいから」だったのだ。

女の子たちが彼のことを「優しい!」と言うのは、ファミレスに行ったときに箸を遠い席の女の子に渡してあげるとか、サークルの買い出しの帰りに女の子の荷物を持ってあげるとか、女の子と道を歩くときにさりげなく車道側を歩くとか……そういうことだった。
僕は、男はそういうことをするものだ、ということを知らなかったし、知った後も、気恥ずかしくてできなかった。当時の僕は、それは「カッコつけてる」ように見えたし、「カッコつける」ことは「カッコ悪い」ことだと思っていたのだ。
そういうわけで僕はもてなかったし(もちろん、もてなかった理由は他にもたくさんある)、そんなこんなで、中学生の頃の「優しくなりたい」という純朴な気持ちは、すっかり忘れてしまっていた。


さて、ここから、びろうな話になる。

当時僕は、大学の寮に住んでいた。
一年生と二年生の寮で、それぞれ二人ずつの四人部屋。小汚くて、貧乏学生ばかりで、昭和の文化が色濃く残るところだった。
そこで僕は、生まれて初めて「誰かを尊敬する」という気持ちを知った。
隣の部屋に住む、九州出身の先輩だ。体が大きくて、豪放磊落。ケンカも酒も麻雀も、めっぽう強かった。特に、酒が強い、ということは、その寮においては男の強さそのものだった。なにしろ、寮内の飲み会が毎晩のようにあり、みんな競うように一気を繰り返して、潰れるまで飲む。最後に立っているヤツが勝ち、だったのだ。
(大学一年生と二年生は未成年じゃないかとか、一気飲みは危ないから絶対にやっちゃダメだとか、コンプライアンス的な突っ込みどころは満載だが、古い話なので勘弁してほしい)

彼は面倒見もよく、選挙で選ばれて寮長になり、寮の経営や大学側との交渉なども担っていた。誰もが、彼がいると何となく安心する、困ったときには彼を頼ればいいと思う、そんな存在だった。僕はそういう人に会うのが生まれて初めてで、強く憧れた。

そんな寮長には、いつも一緒にいる親友がいた。
僕と同じ部屋の、北海道出身の先輩だ。こちらも体が大きいが、のんびりしていて、だらしない。大学の構内に住んでいるのにほとんど講義にも出ず、いつも部屋でぐうたらしていた。
僕は、先輩が寮長と仲がいいのが不思議だった。とりたてて長所がなく、釣り合っていないと思ったのだ。
もちろん、尊敬の念はまったく持っていなかった。


そんなある日、事件は起こった。

僕の同部屋の男(学年は同じだが一浪していたので一つ年上で、態度がでかいヤツだった)がいつもより深く泥酔してしまい、先輩と何とか部屋まで連れ帰ったものの、そこで脱糞してしまったのだ。
その寮では寝ゲロは日常茶飯事だったが、脱糞というのは初めてで、面食らった。
(後で知ったことだが、急性アルコール中毒は重度になると嘔吐、失禁と進み、脱糞はその先の危険な状況だった。すぐ救急車を呼んだ方がいい状況だったかもしれないが、当時の僕らにはそういう発想はなかった)

先輩と僕は、床でのびているルームメイトを前に、顔を見合わせた。
猛烈に臭かった。
ゆるかったらしく、パンツから漏れ出して異臭を放っている。
でも僕は酔っていたし、もう遅い時間だったので、眠かった。
ほっとけば、明日の朝、勝手に起き出して、自分で何とかするだろう……ぼんやりそんなことを考えていたら、先輩が、ごく当たり前のように、彼のズボンを脱がせ始めた。
大の男の服を脱がせるのはただでさえ簡単ではないが、ズボンは汚物で濡れて脚にはりついていて、脱がせるのは大変だった。仕方なく、僕も上半身を押さえて手伝った。

ようやくズボンを脱がせると、次は、パンツにとりかかった。
詳しく情景描写するのは控えるが、パンツの中は、まぁ、ご想像のような状況だ。
先輩は、僕に共用の便所からトイレットペーパーを取ってこさせ、丁寧に体を拭いていった。
あらかた拭き終わると、汚れたトイレットペーパーを便所で流し、もう洗濯したくらいではシミが取れそうになかったパンツとズボンは、ごみ袋に入れた。
ごみ袋を寮のごみ集積場に持っていくのは僕がやったが、それ以外の、手が汚れる仕事は、全部、先輩がやった。
そして、また二人がかりで彼に新しいパンツとズボンをはかせ、二段ベッドに寝かせた。

よっこらよっこらと友だちをベッドに運びながら、僕一人だったら絶対にここまでしない、と思った。いや、先輩以外の誰であっても、こんなことはしないだろう。
ただ僕自身、友だちのために頑張ったという、達成感のようなものは感じていた。臭かったが、人のために何かをするというのは気持ちがいいものだ。
よし、明日になったら、彼に盛大に恩を着せてやろう。もうでかい顔はさせない。トンカツぐらいはおごってもらうし、これからはノートは借り放題、代返は頼み放題だ(僕も講義に出ない方だったので、試験前のノートの確保と、出席をとる講義での代返は、切実な問題だった)。

大仕事を終えて、やっと寝られると思ったとき。
先輩が、思いがけないことを、有無を言わせぬ口調で言った。
「このことは、絶対に誰にも言うな。あいつ本人にも」
耳を疑った。
本人にも教えないのでは、恩着せられない。トンカツもノートも代返も、なしということだ。決して、それが目当てだった訳ではないが(それは本心だ)……
これだけ苦労して、タダ働き? というのが、正直なところだった。
「せめて本人にくらいは……」と言いかけた僕を、先輩は「ダメだ」と遮った。寮では、先輩の命令は絶対だ。

しかも、それで終わりではなかった。
彼がのびていた入り口近くのカーペットには汚物が染みていたが、それを二人で掃除するという。「これでは漏らしたことが分かってしまう」というのが理由だった。
明日になれば、サークルの合宿に行っているもう一人の先輩のルームメイトも帰ってくる。臭いに気づけば、「犯人探し」が始まるのは明らかだ。
僕たちは、濡れ雑巾でカーペットを何度も拭き、消臭スプレーをこれでもかというほどかけまくった。
臭いがさほど気にならない、というレベルまではわりとすぐだったが、「証拠隠滅」と言えるレベルにまでするのは、けっこう大変だった。
ズボンを脱がすところから、カーペットをきれいにするところまで、何だかんだで深夜の作業は二時間以上に及んだと思う。

苦労のかいあって、その事件は、「なかったこと」になった。
寮内の誰にもバレなかったし、だから彼は誰からも笑われたりしなかった(ひょっとしたら本人は気づいたかもしれないが、少なくとも僕は、彼とその話はしていない。だからお礼の一言さえ言われていない)。
彼は相変わらず部屋ででかい態度を取り、先輩はそれを見てにこにこと笑っている。
僕は、それをすごくカッコいいと思った。

この事件を通じて、僕は本当の「優しさ」というのがどういうものなのか、教えてもらえた気がした。
それ以来、尊敬する人が二人に増えたのは、言うまでもない。
ケンカも酒も麻雀もめっきり弱い僕は、寮長のようにはなれないが、先輩のような本当に優しい男に、いつかなりたいと思った。


当時、先輩は二十歳になったかなってないかだった。
いま僕は、とうに彼の年齢を超えて、それなりに社会経験や人生経験を積み、おそらくは彼になかった多くのものを手に入れている(様々な知識や、経済的な安定、世渡りの知恵など、まぁそんなようなものだ)。
でもこの事件を思い出すと、今も思わざるを得ない。
こと「優しさ」という、人にとって本当に大事なことについて、僕は当時の彼に追いつけたのだろうか、と。


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