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『表参道のセレブ犬…』の意外な内容

不意打ちを食ったような気持ちだ。
ちょっと文章のうまいタレントが書いた、旅のエッセーだと思っていた。
とんでもない。
いまの日本を生きづらいと思う、もっと言えば、30年前の日本より今の方が生きづらくなっていると思う、そんな社会への違和感のようなもの、自分の中のコンプレックスみたいなものを、ふわっとすくわれた気分だ。

そうしたものから逃げるように、あるいはそうしたものと闘うために訪ねた、キューバ。モンゴル。アイスランド。
淡々とした筆致に誘われるように、僕も、その旅路を追体験する。
ハバナの生暖かい空気の中で、モヒートを飲み、葉巻をくゆらせて、古い町並みを眺める。そこには広告が無く、古いが丁寧に修理されたクラシックカーが走り、夕方になると人々が理由もなく通りに出てきて、笑顔で雑談を交わす。どこかの家の窓から、陽気な音楽が聞こえてくる。
モンゴルの草原では、どこまでも続く草原で風を感じ、振る舞われた馬乳酒に心地よく酔う。初めて馬を駆けさせながら、自らの中に、あるはずもない遠い記憶の断片を感じる。

いろいろなことを考え、知らず知らず負の感情に凝り固まっていた身体が、旅先で徐々にほぐれていくのが分かる。
勝ち組・負け組。スペック。フォロワー数。承認欲求。
そんなものは、人間にとってまったく本質的なものではないのだという当たり前のことを、当たり前に理解する。
やがて意識は、より本質的で個人的なことへと向けられていく。
亡き大切な人との、内なる語らい。そして、自らの生き方について。

この本は一見、旅行記のようでありながら、実は、生きるのに不器用な一人の中年男性が、人生の岐路に旅を通じて自分に向き合い、その先を生きていくための“きっかけ”のようなものを見つけていく物語だ。
最後に訪れたアイスランドでは、新年を祝う花火が、まるで何かの象徴のように夜空一面に輝く。それを見ながら、苦手だった“日本人”と一緒に笑う。そんなことができている自分に、少し驚きながら。

いまの日本は、生きづらいのかもしれない。自分は、そんな日本の“世間”には向いていない種類の人間なのかもしれない。
それでも、明日はやってくる。
どうあれ、生きていくしかないのだ。
しかし本を閉じ、旅を終えた僕は、何となく、やっていけそうな気がしている。
また明日の夜には打ちひしがれているかもしれないが、とりあえず、今夜のところは。

そんな気分にさせてくれる本だった。


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