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理性で生きてきた私が理性を解き放った性体験

理性的で真面目に生きている——そう自負しているあなたに、今日は少し大胆な話をさせてください。この文章を書くことは正直、赤裸々な体験過ぎて恥ずかしさがあります。でも、普段「理性的でなければ」と自分を律して生きている方に、こんな世界もあるんだと知ってもらえたらと思っています。

振り返れば、私はずっと理性的でいようと生きてきました。良い大学を出て、良いとされる会社に就職し、社会の中で「きちんとしている女性」であろうとしてきました。肩書やステータスが人生の評価基準だと信じ、「真面目な人」「知的な女性」と思われることが、自分の価値だと信じて疑わなかったのです。

でも心のどこかで、満たされない自分がいることを感じていました。日常の中で「これでいいのかな?」と思う瞬間。誰かと話していても、どこか表面的で、本当に自分をさらけ出せていない感覚。特に性に関しては、いつも抑え込んでいて、どこか「私には重要なものではない」と自分を納得させていました。

そんな私が、その夜、理性を忘れ、本当の自分を解放する感覚を味わったのです。その経験は、私の人生を変えるほどのものでした。


聴いてもらうことで解けていく心の鎧

その夜が特別だったのは、彼がただ私の話を「聴いてくれた」からでした。
私は普段、心の内を誰かにさらけ出すことが苦手でした。自分の弱さを見せるのが怖くて、話せないことがたくさんありました。でもその夜、彼は一切のジャッジをせず、ただ私の言葉に耳を傾けてくれたのです。

「そうなんだ」「それは大変だったね」と、ただ頷くだけで、彼は私の心をほぐしていきました。日常の不満や、夫や友人には話せないこと、そして性に対するコンプレックスまで、私は次第にすべてを話していました。それは自分でも驚くほど自然な流れでした。

特に、自分の「濡れない体質」について話すのは勇気がいりました。「私は普通じゃないのかな」「何かが間違っているのかな」と思っていたことを、彼に話すとき、どこかで恥ずかしさと罪悪感がありました。でも彼は、それすらも否定することなく、「そんなふうに思っていたんだね」と受け止めてくれました。

その時間は、私にとって「許されている」と感じられる初めての瞬間でした。誰にも言えなかった悩みを話し、それを受け止めてくれるだけで、心が軽くなっていくのを感じました。

彼が私の手を握り、温かい眼差しで「話してくれてありがとう」と言ってくれた瞬間、私は涙が溢れてきました。それは感情の爆発というよりも、自分の中に押し込めていた何かが溶けていくような感覚でした。


あまり濡れない体質だった私が変わる瞬間

先ほど書いた通り、私は「濡れない体質」だと思っていました。性行為をしてもあまり濡れることがなく、どこかで「自分はおかしいのかもしれない」と思い込んでいました。でもそれが当たり前で、変えることなんてできないと信じていました。

他の女性の話を聞くたびに、「自分もそうなりたい」という憧れと、「自分はそうなれない」という諦めが同時に湧いてくる感覚を持っていました。その思いは、私自身の感覚をさらに抑え込んでいたのかもしれません。

でも、その夜、彼に触れられた瞬間、私の身体が今まで感じたことのない反応を見せました。彼がゆっくりと首筋や背中に指を滑らせ、時折舌で優しく撫でるたびに、私の身体が応え始めたのです。最初は戸惑いと恥ずかしさがありましたが、それを超えたとき、自分の中で何かが解放されました。

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