『読むとはどういうことか』 ①
#note100本ノック
Day 29
あるSNSで、「MAKIさんは効果的に読む方法について、何か工夫されていますか」と質問を受けました。また、関わっているプロジェクトで最近、「読むこと」について考える機会もあったので「読むとは」について、考えてみます。
『読むとはどういうことか』
教育書の翻訳や学びに関わるプロジェクト活動に長年携わられている吉田新一郎さんから『読むとはどういうことか』というヒントをいただきました。
吉田さんからいただいた「優れた読み手が使っている方法」として印象に残ったこちらを引用します。
こちらは、吉田さんの翻訳した『「読む力」はこうしてつける』の「はじめに」から引用されているとのこと。
そこで、この本をもう一度読み返してみました。するとこう書かれていました。
つまり、わたしは原典の引用のさらに引用という形でこのことばたちに出会ったというわけですね。
記事の最後に出典を載せますが、原典はアメリカで21世紀の始めに出版された本。20数年の時を経て、いろいろな本や文章のなかに引用されながら日本のわたしのこころに響くから不思議です。
「優れた読み手が使っている方法」
さて、『「読む力」はこうしてつける』のはじめにを読み返してみるとこう書かれていました。
そして、
とのこと。
さてさてみなさん、この5点にどんな印象を持たれましたか?
わたしには特に「考えること、意味をつくり出すこと」と「見方・視点をつくり出している」の2点が刺さりました。
今回はまず、「考えること、意味をつくり出すこと」について考えていきます。
意味をつくりだすこと
本を読むときにやりたいとのひとつは「知識を得る」かもしれません。でも実は本当にやりたいことはその先にあるように思いませんか。
わたしはおそらく、その知識を得た上で「それで、自分はどうしたいの?」とか「その知識を、自分の何に役立てよう?」とかを、無意識に考えています。(おそらくみなさんも!)
つまり「読む」ということは、(自分にとっての)意味をつくりだすこと、ということ。また、自分にとってだけでなく学校にとっての意味、社会にとっての意味、と、もっともっと枠を広げた視点で、読者は「読もう」とするのではないでしょうか。読んだその先を自然と見据えているのだと思います。
学生はチロルの記事をこう「読んだ」
これについては、わたしの英語の授業で学生が証明してくれたように思います。彼らは、チロルチョコのパッケージについて、英語のWebページをいくつか「読み」ました。
彼らは単にそのページの英文を「英文和訳した」のではありません。もちろん英語が苦手な彼らですので必死に英文と格闘してそこに書かれていることを「読もう」としました。しかし彼らの「読む」という行為は、そのページが示す事実の先の「自分たちがどう考えて、どんな意味を作り出すのか」ということだったと認識しています。
詳しくはこちらのシリーズ①〜⑤をご参照ください。
わたしの授業は「それって英語教育なの?」と言われることもあります。なぜなら、言語運用力の向上に特化しているわけではないからです。しかし英語教育におけるReadingセクションって、単に和訳し、そこに書かれている事実を知ることを意味するのでしょうか?読む技術を高めて終わりなのでしょうか?それが教育の目的なのでしょうか?
わたしは学習者に対し、英文を単に「読む」ことを求めるのではなく、その先に「考えること、意味を作り出すこと」を求めたいと考えていることに気づきました。わたしは「読むということ」の本質を学生に迫ろうとしていたのかもしれない。
『読むということ』
自分の「読みかた」を振り返るつもりが、自分のつくっている授業における学生の「読みかた」にまで考えが及んでしまいました。つまりこの記事そのものが、「読むということは考えること、意味をつくり出すこと」をすでに体現しているようにも思います。
「読む」ということは、そこに書かれたことが、自分(や自分が置かれている環境や文脈)においてどんな意味を作り出せるかを考えるという行為なのかな、と。
SNSでご質問くださった友人への回答になっているかはわかりませんが、まずはここまでで。
文中で触れた原典はこちらです。(1st Edition が見つけられず)
Stephanie Harvey , Anne Goudvis (2007) Strategies That Work: Teaching Comprehension for Understanding and Engagement. Stenhouse Publishers
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