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怒りや憤りは研究への原動力
研究デザインと格闘することはやひと月。第2回の研究デザイン検討会に向けて、朝晩、昼夜問わず、あーでもないこーでもないとそればかり考えている毎日。
私の所属する英語教育SPは、指導教員は決まっているものの、他の教授陣にも自由にどんどん相談してよし、ということを公言されている。なので、私はつねに数名の教授陣にアポを取り、ご指導いただき、まだ考えて、を繰り返している。
今回は、尊敬するU先生からのコメントにあった言葉、「このレジュメを読むと,まきさんが何かに憤りを感じているような表現がちりばめられているのですが,何に怒っているんだろうか。」より。
「えっ。私のレジュメ、怒っているようにみえるのかな」と指導教員のK先生にも尋ねてみると、「そうね、怒りが漏れ出してるかも 笑」とのお言葉。
確かに、あるテーマに関する自分の怒りが私の研究デザインのきっかけではあるのだが、それが「漏れ出している」なんて、なんだかかなり恥ずかしい。
しかしK先生は、続けてこうおっしゃった。「怒りや憤りは研究の原動力でしょ。だから、いいのよ。怒りが漏れ出してたって。」
えー、そうなの?確かにうまくいかないことや課題意識があり、それを改善したいから研究しているわけではあるが・・・
ただあまりにも「怒りが漏れ出している」のもどうかと思うので、表現をもう少し工夫したいと思う私であった。