カズラ島散⾻記④ 突然の別れ
隠岐の島での散⾻情報はすぐに調べられた。
⽗の反対が予想されたので、予防線として
⽣前予約も考えたが、コロナ感染症蔓延のため
散⾻実施⾃体、⽬途が⽴たない状況だった。
必ず約束は果たすから、安⼼してね︕
と⺟に話し、療養⽣活を充実すべく
⺟のリクエストに応えて通販注⽂に勤しむ毎⽇は
結構楽しい⽇々だった。
新版ムーミン改訂翻訳
当時の進行状況:
7/2『ムーミンパパ海へいく』再校戻し
7/9『ムーミンママのことば』原稿提出
7/17『ムーミン⾕の⼗⼀⽉』初校受取
7/22&7/24『ムーミン⾕の⼗⼀⽉』初校戻し
8/2『ムーミンパパ海へいく』発売
8/15『ムーミントロールのことば』原稿提出
8/19『ムーミン⾕の⼗⼀⽉』再校受取 8/24
『ムーミン⾕の⼗⼀⽉』再校戻し
9⽉に⼊ると化学療法の副作⽤で
⾎圧やら⽪膚やらトラブルが増加してきたが
⾒た⽬にはおだやかに過ごしていた。
ただ、それは我慢強い⺟のことだからだったかも しれない。
肝臓癌の腫瘍数無数となると、
年を越すのは 難しいかも…と危惧していたが、
正⽉を迎えることができた。
年明け早々、コロナ禍の波をどっぷりと被った私は
通勤での事務職にも就くことになり、
⺟の通院付き添いができなくなってしまったが、
介護タクシーを始め、諸々の福祉サービスを
駆使して、⺟は通院治療を継続していた。
3⽉に⼊るとトーベ評伝復刊の話が固まり
復刊と⾔っても訳し直しが必要だったので
突っ⾛っていた5⽉、⺟の腫瘍マーカーの
数値が上昇するようになってしまい、
分⼦標的薬をもっと「強い」ものに
翌⽉から変更することになった。
6⽉8⽇の勤務終わりに、新しい薬は
どうだった︖と⺟に電話を⼊れた。
「化学療法は明⽇よ」 (私が⽇付を⼀⽇勘違いしていたのだ)
それが、⺟の声を聞いた最後だった。
その夜⺟は、⼊浴中に浴槽で意識を失い
そのまま天国に⾏ってしまった。
ドクターによると、多分苦痛は1秒あるかないか
といったところだそうで、⺟はまるで
眠っているかのようだった。
この先はたぶん、薬の副作⽤で
苦しい思いをすることになっただろうし、
痛みとの闘いにもなっただろう。
その前にすっと逝ってしまた。
⾝辺整理の類はとうに済ませており
⺟らしい、⾒事な最期だった。
6⽉11⽇に家族葬を⾏ない、⺟の⾃宅に
遺⾻を安置した。「その⽇」が来るまで。
フィルムアート社刊
『トーベ・ヤンソン ⼈⽣、芸術、⾔葉』
2014年刊行の講談社版が絶版となってしまい
訳を全面的に見直した上で、
フィルムアート社から2021年10月に刊行されました。