カズラ島散骨記 ③隠岐の島に、お願いね
化学療法スタートに先⽴ち
肝臓のMRI検査が⾏われた。
結果を尋ねる私にドクターは
モニターをそっと指さした。
そこには「無数」の⽂字が。
何それ︖どういうこと︖
どうしてそんなに早く進⾏するわけ︖︕
「無数」には⾔及しなかったが
ドクターが⺟に告げる。
「癌、肝臓に転移してました」
その⼀⾔だけで、元ナースの⺟には
⾊々と察しがついたと思う。
通院で分⼦標的薬を点滴する治療が
始まった。 化学療法前の診察の待ち時間、
⺟と⾊々なことを話した。⽇頃から
昔のことは忘れちゃったわよ、が
⼝癖のような⺟だったので、無理にでも
訊いておかねば︕と私は結構必死だった。
⺟は⽶⼦の中学を卒業後、
⼤阪警察病院付属准看護学院
(現・⼤阪警察病院看護専⾨学校)に
⼊学している。 2年間全寮制で学費ゼロ(当時)
という新聞広告を⾒て出願し、
試験会場に⾏ってみたら、受験⽣300⼈のところ
⼊学できるのは30⼈と判明。
落ちたら地元の⾼校に⾏けばいいや、と
気楽に受験したら合格してしまったそうで。
1959年3⽉に卒業し、
1959年4⽉に⼤阪商船(現・⼤阪商船三井船舶)の
医務室(神⼾)に勤務。
寮はフランス領事館の隣にあったそうだ。
⺟は、ブラジル移⺠船の船上看護師職に応募し
1年間ほど、働いていた。ほどなく
船上勤務だった⽗と結婚し専業主婦に。
私が中3の時に看護師に復帰したが
昔のことはすぐ忘れちゃうから、と
あまり話を聴けていなかったのだ。
決断が早く、さっぱりとした性格の⺟は
元気な頃から終活に⽬を背けることがなく、
「お墓は絶対に嫌」と明⾔していた。
癌が肝臓に転移しているとなると、
思ったよりも残り時間が多くないかもしれず
こんな話題は憚れる、な状態になる前に
きちんと話しておかねばなるまい。
お⺟さん、お墓は嫌ならどうしてほしい︖
「散⾻がいいわ。でも海は嫌よ。泳ぎは苦⼿だし。
隠岐の島に散⾻できる島があるそうなの。
私はそこがいい。ちょっと遠くて⼤変だけど、
その時だけでいいから、あとはお参りなんて
いらないから、旅⾏気分で⾏ってきてちょうだい」
―うん、わかった。
それ以外の返事なんて、あり得ないよね。
新版ムーミン改訂翻訳
当時の進行状況:
6/3『ムーミンパパ海へいく』初校戻し
6/8『ムーミン⾕の⼗⼀⽉』修正稿戻し
6/22『ちびのミイのことば』原稿提出
6/26『ムーミンパパ海へいく』再校受取