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絵本が好きだけど絵本への期待は好きじゃない。

先日、仕事の話などしていたときに、なぜか、絵本の話になった。
確か、企業内図書館の担当している方の話から、選書の話になり、大人の絵本もいいよね、みたいな流れだった気がする。

で、絵本好きとしてつい、絵本はさ、純粋に絵本としていいものもあるけど、こどもに向けて大人の意図が強いのがあるのがなんだかな、と言ってしまったのだった。

まぁまぁ日ごろから思っていることではあって、でも別に読む人が何を感じて読もうと何が好みで読みたいと思おうと自由なのだけど、私としてはもやもやするポイントで、そのとき話していた人たちならその感覚をわかってくれる人もいるかもしれないと淡い期待があったと思う。
実際共感を得られた気はしないけど、否定する人たちでもないので、とりあえず安心して口に出せるところはあった。

こども向けの絵本って、大人の都合のいい意図が含まれてるものも多くて、それはほんとにすごいいや。
こどもの絵本に限らず、誰かが上から目線で与えてあげてる感、教えてあげてる感、導いてあげたい意図が見えるものはほんといやなのだけど、こども向けにはそれが多い気がする。

こどもに、こんなことを知ってほしい。
こどもに、こんなことを学んでほしい。
こどもに、こんなことを身につけてほしい。
こどもに、こんな風に感じてほしい。
こどもって、こんな感じのが好きでしょう?

自分も好きだから知ってほしいなぁ!とか、自分も楽しいことを描きたいな!って感じでなくて、しつけとかマナーみたいなわかりやすいものから、大人目線のいいこを描いてるのとか、親への愛とか親からの愛とか、そういう、大人がこどもに持っててほしいものを押しつけてる感とか。
こどもはどうせこんなかわいい感じの元気な感じのが好きなんだろうなってありふれた感じのがつくられてる感とか。

そういうのが、こども向けのものに多い、ということ自体が、こどもをばかにしてるみたいですごくいや。
こども像としてひとくくりにして見ている感じと、理想をすりこんでいきたい感じと、そういうのが苦手。

それは別に、こども向けだけではなくて、いろんかところで見られるものだとは思う。
なんなら、大人向けの絵本、っていうのも、なんかな?ってなる。
大人はこんなのが好きでしょう?いやしとかあたたかさとかを求めるでしょう?っていうのが透けて見えるの多くない?

こども向け感のと同様に、大人向けだとわざわざ銘打ってるところが胡散臭くて意図を感じてもやっとする。
楽しい絵本は、大人とか子供とか関係なく楽しいじゃん?
文字読めるとか難しさとかも関係なかったりするじゃん?

こども向けのもたいていは結局大人がお金を出すのだし、大人向けと銘打って関心示すのも大人だし、大人が好みそうなお金出したくなりそうなコンセプトで売るのはビジネス的には正しいのだろうけど、スポンサーにこのまれそうなものをつくるとたいていつまらないと思う。
絵本もそんな風になってる気がする。

昔の絵本は、と、カテゴライズするほど知ってるわけではないけど、でも長々と人気があるベーシックな絵本は、そんな感じの大人の意図を含んでない気がする。
単純に、シンプルに、おもしろいものが絵本になる、って感じ。
ぐりとぐらとカステラに憧れたり、おさるのジョージのいたずらに笑ったり、こぐまちゃんしろぐちゃんのホットケーキが食べたくなったり、おばけが怖くなったり、ただそういう、いいなぁと思うシーンがあったり、わくわくしたり、笑えたりして、それで何度も読んだのだ。
何かを学ぼうとか、そんなのは関係ない。

だから、おもしろそうな絵本は毎年毎年たくさん出るのに、なかなか根づかないのではないかなぁとも思う。
何かをやんわり押し付けられたりするよりも、こんなのが正しいと勧められるよりも、ばかっぽくても勧められなくても、ただ好きなものおもしろいものが読みたいじゃん?
それが、オーソドックスにずっと人気がある絵本たちなんじゃないかなぁと思う。

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