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何がよいキャリアか他人が決めない。

価値観は人それぞれなのに、あたりまえに同じ価値観でいるもののように話されるともやっとする。

仕事の上での話とか、価値観や認識を合わせないといけないようなときならともかく、キャリアの話のときに特定の価値観で話してほしくない。

というのを、最近上司と話したときに思って、そういえば会社で話すときはいつも同じような価値観上で話されてしまうなぁと思い出した。

会社で言われた思い出せる範囲での最近のアドバイスがこんな感じ。

「自分のキャリアは自分で切り開かないとだめだよ。異動したいとか自分で決めないと。」
(はやく異動してこのプロジェクトにコミットするのがあなたのキャリアのためだよ、って暗に言ってる)

「これから力入れたいところに行ける方がいいじゃない?」

「○○(部署として力入れたいところ)に注力できる方がいいのでは?」

「ひとつに絞るならどれがいいの?絞って成果出さないと。」
(いろいろやって専門性ないのは価値ない、って言われてる。←キャリコンは社内では専門職になってない)

どれも別におかしなこと言ってるわけでなく、すごいずれてることもないんだけど、もやっとする。

評価されるのがよいこと、成果を出しやすい方がいい環境、みたいな前提で話されているように思う。
それが大事って視点からの「よいキャリア」観だと思う。

それがいい、って考え方もわかるけど、それはあなたの価値観での「いい」であって、みんなの価値観、私の価値観ではない。

私のキャリアにとって何がいいかを勝手に決めてほしくない。
そういう価値観があるのはわかる。
一般的には(特に成果求めて上に行きたいような方にとっては)それが価値でありよいキャリアのイメージなのもわかる。
でも私の価値観を無視するな?と思う。
(特に1番最初の場合を除き(それはそれで勝手にアドバイスしてきてもやっとするけど)、一応自分の興味関心とか志向やキャリアアンカー的な話を伝えているのにこんな感じだった。)

選択肢としてはわかるし、例示や選択肢の提案として出されていたら、問題なく受け取れた話だと思う。
でもその人の価値観でこれがいいとジャッジされていると、押しつけに感じてしまう。

でもこれって、結構あるあるだよね?
会社で上司からアドバイスされるときとか。
親が子供の進路などに口出しするときとか。

無意識だろうし、よかれと思って言ってるのだと思うけど、あたりまえのように同じ価値観でいると思って、というか、価値観とかも意識されずに(そんな価値観や前提の違いなどがあるとまさか思わずに)、話している人の価値観があたりまえの共通認識のように話されていることって多いと思う。

だけど、価値観はそれぞれで、似ててもまったく一緒ではない。
相手のことを話すなら、相手の価値観で話していかないと。
その人の視点で話せないと答えは出ない。

あなたのキャリアはあなたの価値観で語ればいいしつくればいいけど、自分のキャリアは自分の価値観で考えてつくるのだ。
ほかの人がその人の価値観で語ることではない。

自分とほかの人の価値観などの違いを意識する、っていう、ほんとシンプルなことなんだよね。
違いがわからなくてもいい。
違うかもしれないってことが意識できてたらいい。
それだけなんだから、常に頭のすみっこに置いておけるといいよね。

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