学びたくない、っていうのはほんとかな?
学び続けるのが大事、と言われている。それは確かにそうだと思うし、学び続けないと生きていけないようにも思う。
でも、社会に出てから学ばない人が多いというけど、それはほんとかな?とも思う。
リクルートワークス研究所の全国就業実態パネル調査の分析報告書「どうすれば人は学ぶのか ―「社会人の学びを解析する」― 」の最初に、こんな言葉があった。
そもそも、自分から学ぶのに不慣れなのは社会人だけではないんじゃない?
学校があるときは学ぶ場があって学ぶことを強制されてるから学ぶだけなんじゃないだろうか。
自分から、なんて、学校でもできることはほとんどないと思う。もちろんカリキュラムどおりに自ら先に進んだり復習してみたりっていう「自分から」はあると思うけど。
ずっと、学校などでは、自ら興味を示すことでも枠から外れるなら受け入れられないことが多くて、役に立たないような(と大人や先生が判断した)ことは学びたくても推奨されないことも多くて、そうやって「自ら」興味を示して学びたい欲を抑えられていたりするのに、社会に出たら「自ら学べ」って理不尽だなと思う。
社会での「自ら学ぶ」も、企業が求める、仕事に役立つ、社会が求める、っていうのが大きい気もしてしまうけど。(それが自分のキャリアに役に立つというのもわかるけど。)
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「会社が学びの場を提供するべき」というような話もあった。
チャレンジすることになる状況とか、必要があれば学ぼうとするのは確かにそうだと思う。学んだだけ何かわかりやすい結果が得られるなら学ぼうとする人もいると思う。
でも、学びってそういうものだっただろうか?とも思う。しなきゃいけないと思われて、するように仕向けられて、そのためにやるもの?それが「自分から」学ぶってことなのか?
仕事で必要に迫られて、昇進や昇給などインセンティブがあるため、っていうのもいいけど、必要だとかメリットがあるとかでなく、私は、好きだから楽しいから興味があるから学びたいっていうのが理想に思う。
(もちろん、必要な上に興味があるとか、メリットもあるし楽しいとかもあるだろうけど。)
これはリクルートの調査なので、仕事や会社って切り口だしそれはしょうがないのだけど、仕事やキャリアアップに関係なくても、趣味とか単なる興味関心で学んでいることだってあるはずで、それだって自らの学びじゃない?むしろそっちの方が、外的動機付けからではなく、内的動機に基づいていて「自ら」という気がする。
何が仕事に結びつくかわからないような今や今後の状況だったら、一見仕事に直接関係ないというような学びも大事だと思うんだけどな。
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この分析報告書は、「どうすれば人は学ぶのか」というタイトルだけど、ほんとはもともと人は学びたいものなのではないかと思う。
赤ちゃんのころ、ごくごく小さかったころ、まわりのすべてを吸収するのが楽しかったんじゃない?目に入るもの手にするものなんでも興味津々でいたはずだ。
それが、ただ知りたい経験したいという単純な欲求に対して、大人とか学校とか社会の都合で、いいかよくないか、メリットがあるかないか、意味があるかないか、とか決められて、大人の都合とか社会の都合で許容されたりされなかったりして、評価されたり枠にはめられたりして、楽しさおもしろさというのが失われているのではないか。
ほんとは学ぶっておもしろいっていうことを、忘れてしまっているのではないか。
仕事のため、会社のため、キャリアのため、とかおいといて、ただ好きで興味もって学びたいことを学ぶところから、学ぶことっておもしろいんだよな!って思い出していったらいい。
理想論かもしれないけど。
でも好きなことなら自分から学べるはずだし。学んでいるとも思わずに学んでるんじゃないかと思う。
そこから仕事への興味にも広がるならそれもいいし、別に仕事につながらなくても自分の人生が豊かになるならそれでいいじゃない?
仕事も含めてまたは仕事中心で仕事が充実したキャリアデザインするのもいいし、仕事はライスワークでそれ以外で充実するというキャリアデザインだっていい。
学ぶことが大事というのは同意だけども、学ばなければならない、学ばないと困ることになる、とか、学んだ方が自分のためだ、という文脈だけでなくて、学ぶのっておもしろいよねっていうようになったらいいなと思う。
いちいち学びって大事とか言わなくても、ほんとは生きていたら日常などでいろいろ学んでいるはずだし、意識してやるかどうかだけでも変わると思うし、それを楽しめると幸せだなと思うのだ。