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きれいなままそのまま見たいのに。

だいたい私の見ているSNSの世界は、自分の好きなもの、きれいなものにあふれている。

Twitterはほんとほとんどがきれいな写真やイラストが流れる状態になってるし、インスタはもともとあまり殺伐としたものが上がらないと思ってるし、比較的いろんな人とつながっているFacebookでもネガティブなニュースをネガティブに取り上げたりする人は少ない。

そんな感じなので、まぁまぁ安心してSNSを見ていられるのだけど、でもちょっともやっとしてしまう。

きれいな写真とかイラストとか、わざわざニュースを思い起こすようなタグつけられていて、逆に思い出すきっかけになってしまって。
直接思い出すような言葉は使われていないけど。でもこういう傷ましいことがあったから、そんな状況に癒しを、きれいなものを、だったり、祈りをこめた言葉だったり、確実にこのニュースについてのメッセージだなってわかるタグやコメントではあって。

そういったタグやコメントを見ると、せっかく好きな写真やイラストを見ながら、ニュースの映像も浮かんでしまう。
(といっても、全然ニュース追ってないので、ニュース記事のサムネイル程度のイメージなのでたいしたことはないのだけど。けどまぁまぁサムネイルも衝撃的でない…?)

タグをつけることで、そういう投稿を求めている人が、探しやすくなるっていうのはわかるし、何か投稿するときに想いをこめたいのもわかるんだけど。
必要な人に届けやすくするためで、必要な人への想いを伝えたいものだともわかるんだけど。

でも、そのままきれいなものとして楽しみたいのにな、って思ってしまう。

でも、そういうタグやコメントつける方々の気持ちもわかるし、ネガティブなニュースや投稿が増える中で癒しや美しいものがほしくなる気持ちもわかるので。
そういったタグやコメントを「余計な情報ない方がいいのに」って思ってしまう自分もちょっといやだなと思って、心乱されつつもやもやしてしまうのでした。

そういう、癒し画像を届けようっていう人がいるから、いつもよりもきれいなものが目に入るのかもしれなくて、それは喜ばしいはずなんだけどな。
自分がそれを単純にありがたいなぁと思えないのがいやだなと思う。

そんなこと言いつつ自分のいやしもはっておこうかな。

今日見た空。
夕焼け朝焼けみたいに特別きれいとか出ないのだけど、表情ある雲が好き。

なんか3匹走ってるみたいじゃない?
空と雲の境界線好き。

ふと振り返るといやされるこのこも。

ころんところがってるおしり具合がかわいくて。
なぜか足組んで寝てる。

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