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デザインに何を求めるのか。

チラシとかCMとか、広告って、きつめの原色で目立つ感じで、もしくは商品写真とか大きくいれて、がんっと存在示すものが多いじゃないですか。

おしゃれ系の、ナチュラルな雰囲気よい感じとか、モードでスタイリッシュな感じのとかもあるけども。

インパクト強めでアピールしているものが多い印象。
特に価格勝負や、スピードや簡単さなどの、わかりやすい数字や効果アピールのものは。

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ちらっと見たときとか、たまたま視界に入る範囲をよぎったときとかに、色や文字なり写真なり、インパクト強めの方が意図的に見ていなくても視界に入りやすい意識に入りやすいというのは、理論的にはわかるんです。

それはそれで、手法として正しいことだとも思う。
目に入らなければ、広告として意味ないし。
だから目に入るように、大きく強く鮮やかにってのは、そういうものだよね、って思う。

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だけど、大きくて強くて鮮やかでって、意識しなくても目に入ってくるほどの強さって、つかれるじゃない?
そんなことない?

目がちかちかする感じ。
ばん!っと画像や文字が主張してたり、原色で反対色で強さをアピールしてくる感じ。

見ようとしなくても目に入るという意味ではPRするものとして正解なのだと思うのだけど、私は逆に、存在がうるさくて、避けたくて、見たくなくなる。

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だから、ローソンのパッケージデザインの変更、すごく好みだったわけですよ。
落ち着いてて、統一されてて、きれい。
主張しすぎてなくて、うるさくない、しんどくない。

主張しすぎないところは、商品として主張が必要なときには欠点なのはわかるのだけども、コンビニのプライベートブランドって、他社製品比較で買ってもらうっていうのでなく、そのコンビニにいってほしいものを買うときにあるものを買うのが多いだろうから(同様の製品がいくつか置いてあったりするスーパーとか百貨店などと違って、わざわざ別のコンビニ行って比較して選んだりしないよね?)、めちゃくちゃ主張してなくてもいい気もして。

好きな感じだなーと思ってたら、そのデザイン担当が佐藤オオキさんと知って(めちゃ大好きなデザイナーさん!!!)なるほどなるほど、それは好みなわけだわ、と思って、誰のデザインか知らなくても好きなデザイナーさんのデザインはやっぱ好きなんだな、と思って、ひそかに嬉しかったりした。

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なので、そのデザインがめちゃ批判されているのにちょっとびっくり。

確かにね、牛乳はちょっと見づらい。(私は見た目は好きなんだけど)
これは間違う人も多いかもしれない。
PBの中での同種の類似デザインは、見やすくないと間違いやすいとは思う。

だけど、そんなに視認性必要?とか思ったりもする。
目がよくない方とか、視覚障害ある方には見づらいって言われたらそうなんだけど...(でもそれなら、ほんとにあのコントラストきついのは見やすいの?それ単体で文字とか写真とかが見やすいのはわかるけど、どこの商品もそんなデザインなのに区別付くの?)
近くまでいったらわかるし、文字もあるし、ぱっと見のわかりやすさの重要性ってコンビニでどれくらいなのかなと思ったり。

シズル感がないって意見も見たけど、シズル感あったら買うの?っても思うし。(私はそれでおいしそうって思ってコンビニで買い足すってない。レジ横でふと買うとかはシズル感とか関係なく買ってる。)
同じような商品が並べてあったら、おいしそうに見えるのを選ぶのはわかるんだけど、コンビニで買うとき、何があるか、くらいがざっと見ることで、これ気になるなって思って価格見たり量とか成分とか見てみたりして判断しているし、これ買いたいって思って目的合って買いに行くのも多いから、見つけたもののシズル感で買う買わない決めるって経験ない。

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そもそも、認識しやすいというのと、見やすいというのって、イコールじゃないのではないかと思うんですよね。

認識しやすい(=視認性高い)って、理論としてはそうなのだろうけど、そういうコントラストの大きさや文字の大きさとかと、それを見たいと思ってしっかり見るかは別じゃないかと。

ユニバーサルデザインっていうの考えたら、はっきり見えるのが重要なのはわかるのだけど。
(でもユニバーサルってなんなの?とも思った。障害のある方やお年寄りとかの視認しづらいとか、海外の方など向けに多言語とか、それは対応必要なのはわかる。でもきつい色合い見るのしんどい!っていうのは、ユニバーサル対応されないのだろうか...それはわがまま?)

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あとね、デザインとしてよいかどうか関係なく、変化したら不便に感じるって人は多いと思うのですよ。
見慣れていたのと変わったら、今までのイメージで探したら見当たりにくくなるので、それだけで不便に感じるはず。
見やすいデザインかとか置いといて、自分の過去の経験と照らし合わせたら不便なのが当たり前のはず。
だから、ほかのデザインになってたとしても覚える不便さというのを差し引いて、変わってよかったかどうか検証したいものだと思うのだけど、変化した不便さも含められたまま語られている気がするんですよね。
そこはなんだかなと思ってしまって。

それとさ、佐藤オオキさん自身をけなすような意見も見たけども、デザイナーがどんなデザインしようと、採用するのは発注側なので、意向に沿ってデザインしてるか、オオキさんの提案を発注側がいいと思ったかであって、デザイナーの良し悪しの話にするのどうかな?とも思う。

だったらローソンの経営者なり担当者なりがよくないのか?というと、企業としての考え方に合うものを取り入れたいのではと思うので、狙ったことに合うならそれでいいんじゃない?とも思う。
もちろんお客様は大事でご不満あるのなら解消するべきとは思うけど、コンセプトとか目的がお客様の求めているのと一致しないだけってこともあるしさ。

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なんでそんな批判?って思うのは、単に私は好みだったし不便もないし、ってだけだとは思うのだけど

でも、批判している意見を見て、もやっとするのは
批判したりけなしたり落としたりしているだけで、だったらどういうのがいい、ってのが見えないとこだと思うのですよね。

こういう方がいいとか、自分だったらこう思うとか、何か意見ある人が批判しているのはもやっとしない。
その人はそういう意見なんだなと思うし、それならこれを批判したくなるのもわかるなと思ったりする。

実際間違えて困ったから、わかりにくくて困ったから、とかいうのもわかる。
(けどそれは、さっき書いたように、変化したら不便に思うものだから、ただ変化した点でも感じるってのを差し引いて考えたい。)

なにか変えたかったからデザイン変更するわけで、その意図に沿ってるならそれで問題ないわけで。
デザインなんて、目的とかによって、なにがいいかなんて全然違うものなので。

わかりにくい人がいても、好まれるならOKとする人もいるだろうし、万人に知ってほしい人もいるだろうし、伝え手側の考え方もばらばらだと思うので、ないわー、とか言うだけ言うってのはなんだかなぁと思ってしまうのでした。



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