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「ちゃんとしなければ」を手放せたらいいよね。

「時間貧困」の話を読んで、時間が足りなくて足りなくて死にそうになっていたときのことを思い出した。

ほんと働きながら家事育児って、完璧とは言わずとも、ある程度きちんとって思ったら倒れそうになる。
何かしようとしてら寝る時間を削るしかなくて。
ある程度きちんと、をやめて、最低限のみって思っても、それでもきつかった。

あまりにも無理すぎて、あれこれ諦めたりやめたりして、だいぶ楽になれたなって思う。

それは、私はこの記事の柴田さんとは違って、育休あけのときがまだ3年目とかで、仕事に対してあまり責任も期待も受けてなかったというのもなんとかなった理由だとは思う。
ワンオペ年子2人という状況では(そしてすぐにひとり親年子2人になった)、仕事は最低限、生活できるだけ稼げたらいいと諦めた。
1人目の育休から復帰した時点で、「小さい子いるから病気で休んだり帰ったりするした残業も無理だろうしその中でできること」って配慮された、結局は梯子をはずされたなって感じていたし。
子供たちが小さい頃は、仕事はちゃんとやるのはやるけど、とりあえず自分のやることだけ時間内だけしっかりやればいい、ってスタンスでやっていた。

だけど、ほんとは、いろいろ手放せて楽になれたのは、私がひとり親になったからではないかと思っている。

諦めるしかないって思えたから。
自分1人で決めることもできたから。

多分私は、結婚していたままだったら、少なくとも家事や育児に対して手を抜くことができなかったと思う。
最低限ではあっても、ある程度やってるなって思われるくらいはやろうとしたと思う。旦那や義両親にだめだと思われないように。
子供にたいしても、もっと時間を費やそうとしたのではないかと思う。諦めるのは仕事で、子供の習い事とか勉強とかに力入れようとしたかもしれないと思う。お金さえなんとかなれば私が時間つくればいいだけだから。
一般的な、ほかの人から見た、ちゃんとしてる親、子供のためにがんばる親ををやろうとしただろうと思う。

実際、離婚してからしばらくは、まったく手を抜けなかった。
ひとり親だからなってないわ、とか思われないように、ひとり親の子はかわいそうねって思われないように、ちゃんとしたご飯つくって、保育園準備とか抜け漏れないようにして、しつけとかも厳しくして、って思った。
(それでも、ご飯とかはレトルトとかお惣菜とかマクドナルドでもいいか、って手を抜けるようになったし。ほんとはいろいろ頼める相手がいるのに1人でやるしかないストレスよりは、自分しかいなくてその中でやる疲れの方がましだったんだけど。)

でも全部ある程度ちゃんと、っていうのは物理的に無理で。
時間も体力も足りなかった。アウトソースするにも保育園でぎりぎりで、それ以上の金銭的余裕もなかった。
ノイローゼっぽくなったり、いつもイライラして余裕はなくて、うっかり自分がインフルエンザにかかって動けなくなって本気でやばいと思ったりもして。
ほんと無理だっていうのと、保育園だの学校だのほかの親だのの「一般的な親」「ちゃんとしてる親子」像にとらわれるの無駄だなって思ったことが重なったりもして、がんばるのを手放せたと思う。

最優先は何か、っていうのだけ考えて動くようになったと思う。
それが私は追い込まれるまでできなかった。

子供が1人だったり、実家が近かったり、何かもうちょっとがんばれる要素があったらがんばっていたかもしれない。
離婚してなかったり、義両親や両親がちょこちょこ来たりとか、横槍が入る状況だったら、がんばるしかなかったかもしれない。
そう思う。

それから、私の最優先事項は、「子供たちが生きていること」「いつ私が倒れても死んでも子供たちが生きられること」だった。

なので、ご飯適当でも掃除できてなくても、学校遅刻しても休んでも、たいしたことでないっていう感じ。
もちろん限度はあるけど、暮らす上で困らない、仕事するのに困らないのが先で、その上でがんばれることはがんばる、程度で。
勉強ができるとかより、身の回りのことができるように、私がいなくても食いっぱぐれないようにが先。

いろいろ子供たちに任せてみたりして、うまくいかなかったりちゃんとしてなかったりしてもそれでいい。
自分でできる、自分でやってみるってのが大事。

そうやってやってたら、時間ができたし気持ちに余裕もできた。
残業したり出かけたりもできる。やりたいことをやったりできる。


私の場合はすごい極端な例だと思うし、これを勧めたいというわけではないけど。
この記事で問題になっている、母子家庭で低所得で長時間労働とかの場合についてまったく解決はできないけど。


でも、そうでない場合に、親がちゃんとやらなければ、頼んだり任せたりもしづらい、みたいになって時間貧困になってしまうこともあるのではないかと思った。
かつての私みたいに。なんでもいろいろやらないと、やれるだけやらないと、ってなって。

家事も育児も仕事も、やろうと思えばどんどんやることがあってきりがない。
がんばらないと、ちゃんとやらないと、っていうのを少しでも手放せたら楽になるはずなのに、それもなかなかできないよね。
男性がもっと家事育児をっていうのももちろん必要だけど、適当でも多少困ることがあっても大丈夫だよ、別にいいよなんとかなるよ、っていうような、寛容な社会であればしんどさが減るのではないかなって思ってしまう。

ちゃんとやらなければ理想どおりにできなければ無責任ってことではないし、無理してしんどくてもがんばるのが責任ってわけでもない。
(そもそも、ちゃんとするとか理想とかってなんなの?って思うし。)

ちゃんとしなきゃってがんばりすぎるのでなくて、でもがんばって手放さなきゃっていうのでもなくて、追いつめられて手放すしかないのでもなくて。
がんばらなくてもゆるくいても大丈夫で、それぞれのやり方で大丈夫っていうのが当たり前になればいいなと思う。

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